ぴあけあら

双極症当事者(ピア)で、統合失調症の当事者家族(ケアラー)。日々の記録です。

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統合失調症と死 〜我が子のゼプリオン治療と絡めて〜

 

 

今回はかたい文体で書きます。

 

 

これまで話してきたように、わたしは自分の子が統合失調症であるため、家族会に入っている。

 

そこで実際に見聞きするのは、当人の死の話だ。

親よりも早く亡くなってしまう例が多いように思う。

 

統計をとったわけではなく、あくまでも個人的な印象であることを念押ししておく。

 

当人が10〜30代の場合は、圧倒的に自死である(事故あるいは不明とされる例も含めるが)。

これは、病気が気づかれず未治療であること、発症直後の症状の激しさに治療が追いつかないことが、要因としてありそうだ。

 

当人が40〜60代になると、突然死が主になる。医師からは急性心不全と言われるが、大体死因がはっきりしない。娘さんが夕食後、部屋から出てこないので覗いてみたらすでに亡くなっていた例もある。推測されるのが、精神病薬の長期服用による高血圧、心臓の機能低下、肥満(精神病薬は猛烈に太る。50キロ増もよくある)。症状で動けないために極端な運動不足にもなる。また嚥下障害による死亡も聞く。おやつのお菓子を詰まらせるなど、通常の生活の中で生じる。60代で嚥下障害は早いと思うのだがどうなのだろう。また事故死も多い。わたしの家族会では、本人による失火が2件。一人は亡くなり、一人は瀕死の重症であった。

 

 

親が子どもを見送るのは、身を切る悲しみがあろう。

自身も高齢になり、それまで十分に手をかけてきた子を突然失う辛さははかりきれない。

 

幾度めかの断りだが、当然ながら、長寿の当事者もいると思う。

家族が家族会に入らなくてよいほどに病状が軽く、薬も多くないために身体への負担が少ないせいかもしれない。あるいは、たまたま家族会に短命な当事者が多いだけのことかもしれない。

たとえば、北海道べてるの家の名誉理事長 佐々木実さん(当事者)は癌で逝去された。79歳。こういう方もいらっしゃる。

 

 

さらなる死因としては、精神病薬そのものが要因というケースもあるのではないかと思う。これは、直接知っている例はないので、素人の憶測に過ぎない。統計的にもかなり稀なケースであろう。滅多に起こらないことであっても、我が子がそれに当てはまるのは悲劇である。

 

 

先日まで我が子が行っていたゼプリオンの筋注である。

大変な思いをした期間であった。彼女は、もともと状態の波がある病相ではあるが、たまたまの不調とは説明できないほどの急激な悪化であった。

副作用なのかどうか定かではないにしても、合わなかったのは確かである。

 

peer-carer.hatenablog.com

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そして、今から約10年前、ゼプリオン発売直後のブルーレターについて

yakuzaishi.love

 

tougou-kazo.blogspot.com

 

 

ameblo.jp

 

 

ネット検索では、当時の注意喚起の記事は多くヒットするが、現在(2023年)での死亡率についての統計は見つけられなかった。上記事kyupin先生の見方が適切であることを望む。

 

 

 

 

 

 

ゼプリオンの他、エビリファイなど、抗精神病薬(統合失調症の処方薬)の筋注はあり、利便性が強調されている。家族会でも、薬を飲もうとしないと悩む親に「筋注にしたらいい」と安易に薦める雰囲気がある。

 

けれども、合わなかった時は地獄である。持続剤であるから、薬が体外に出るまでは苦しみ続けることになる。

 

我が子の場合は、他にもジプレキサ最大量、ロナセン最大量を処方されており、慎重を期する例であったことは間違いない(上記の記事を参照)。それまでもインヴェガ(ゼプリオンの経口薬)を飲んでいたのだからとの判断であったのだろうし、子もわたしも、仕方のない選択としてではあったが、自身で選んだものであった。主治医を責めるつもりはなく、これまでの経緯を振り返ると、治療に試行錯誤は付き物だと思う。

 

 

このように統合失調症と死について考えたとき、我が子のゼプリオン騒動は、もしかしたら、死がすぐ近くにあった状態だったのかもしれない。素人考えである。しかし、我が子をあのまま失ったかもしれなかったと思うと、背筋に冷たいものが走る。命があってよかった、乗り越えてくれてありがとうと思う。

 

日常では、些事がいろいろあり、振り回されて、ウンザリもする。手がかかることにイライラもする。

 

だが、死の影が思いのほか近くにある病であること、親よりも早く死んでしまうかもしれないこと、を思うと、この日々が何より愛おしい。