ぴあけあら

双極症当事者(ピア)で、統合失調症の当事者家族(ケアラー)。日々の記録です。

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一日一個

 

 

こんにちは。

 

うつ当事者で、統合失調症の家族をケアしていますピケらいおんといいます。

 

家族はいま不調な感じです。

ゼプリオン四回目を先週打ったばかりなんだけどなあ。

量が足らない?うーん。

そこは医師の判断です。

なんとかやり過ごしてほしいものです。

 

↓ ゼプリオンの記事です。

peer-carer.hatenablog.com

 

peer-carer.hatenablog.com

 

 

今日は「一日一個」の話をします。

 


 

できない自分がつらい

 

メンタル不調になると、それまでできていたことができなくなります。

 

ひとの活動は息をするとか心臓を動かす とか以外のことは、脳が司っています。

 

脳の調子が悪いので、いろいろできなくなるのは当たり前です。

元気になったらちょっとずつできるようになります。

時間がかかります。想像以上に時間がかかります。

 

 

でも、そうは思えないものです。

一番つらくて、一番自分を責めているのは本人自身です。

 

「こんなこともできなくなってしまった」

「頑張ったらできるのでは」

「自分が怠けてるせいじゃないか」

「できない自分はだめだ」

「家族に迷惑かけてるし、社会に役に立たない」

「自分なんていないほうがいい…」

 

奈落にどんど落ちていきます。

 

どうせどうせ…

 

「そのままでいいのよ」と言われても…

 

こういうときに、理解を示してくださる方もいます。

「何もしなくていいんだよ」

「そのまま生きていてくれるだけでいいの」

「ありのままのあなたでいて」

 

優しさがすごく嬉しい。

たしかに

「ありがとう。うん、わたし生きてていいんだよねー」

と安心します。

感動の涙を流す(心の中でも)こともあります。

 

 

ですが、それでも

「自分はできない」という事実は変わらないのです。

 

いいんだよと言われて、そのときは少し安心するけど、自己肯定感が上がるわけではない。

 

ある程度自己肯定感が持てないと、自己受容もできないです。

 

ダメだ…



 


 

炊飯器のスイッチ

 

ずっと昔、うつを患う方の生活を固定カメラで追っているテレビ番組がありました。

 

彼女はうつで朝からずっとこたつで横になっています。

夫さんが朝仕事に出かけて、昼間も彼女はずっとそのまま動けません。

夜暗くなって夫さんが帰ってきます。

 

彼女は泣きながら「ごめんなさい。今日も何もできなかった」

夫「そっか」

彼女「炊飯器のスイッチ入れただけ…わーーん(泣)」

夫「スイッチ入れたじゃん。一つできたじゃん

 

そういえば、わたしの夫もこんな感じで対応してくれたな と思い出しました。

 




 

「一日一個」の原則

 

 

わたしは「一日一個、何かする」としています。

 

 

一個でいいのです。

息をして、トイレする以外の一個。

 

一日一個。

何かをしたら、できたら、それでいい。

 

もっと悪い段階だったら、二日に一個、三日に一個でもいいと思います。

 

 

一個のレベルはうんと下げています。

作業は細分化して、そのうちの一つでいいです。

 

さっきの彼女の場合、「ご飯を作る」としてしまうと、やれなかったとなります。

でも、ご飯作りのうちの「炊飯器のスイッチ」を一つとみなせば、ちゃんと一個やったことになります。

実際、彼女がスイッチをつけなければ、それも夫さんがやらなければならないのですから、十分に役に立っています。

 

 

 


 

小さな達成感から自己肯定が生まれる

 

一日一個。

続けていくと、意外に効果があります。

 

 

積み重ねることで、少しずつ自分に自信が持てるようになっていきます。

こんな自分でもできる と思える最初の基盤になれます。

 

 

一日一個でも、10日間続けたら10個、100日やったら100個になります。

超すごいです。

 

小さな達成感は、自己肯定体験の積み重ねになります。

 

自己肯定感は、メンタルの病気を治療する上でとても大事な要素です。

 

 

 

小さな砂も積もれば山になるよ

 

なるべく小さく簡単にする

 

いろんなところでいろんな方が「よかったことや、やれたことを書き出しましょう」と言っています。

それと似ていますが、

ここでのキモは、なるべく細分化して、一つ一つのことは簡単なレベルにすることです。

 

 

メンタルのある方は、だいたい理想が高くなってしまっています。

 

「これもやらないと」

「ここまでやらなくちゃ」

「ちゃんとする」

 

こういう思考にとらわれているので、どんなにやっていても「できていない」となってしまいます。

 

まず今は、徹底的に、レベルを下げましょう。

 

元気になったら、いつでも上げればいいのですから。

 

レベルを下げれば、ほら、意外に、一個どころか二個も三個もやれてますよー

 

一個一個は大したことじゃなくて全然いい



 

 


 

大事なことは4つ

 

 

①一個のレベルはうんと下げる

 

たとえば、夕飯ということにはたくさんの細かい工程があります。

 

炊飯器のスイッチ、お皿をだす、お箸を揃える、もあります。

食べた後の食器を重ねる もいいですね。

 

これらをそれぞれ一個ととらえると、これだけで一日四個もやったことになります。すごいぞ。

 

調子が良いと、あれもこれもやれるときもあります。

でも、次の日にはそんなにできなくて、お皿を重ねる のみになったとします。

そこでまた「一日一個」の原則を思い出しましょう。

すると、ちゃんと一日一個やってます。大丈夫です。

 

大丈夫だよ

 

 

②過去と比べない。

 

毎日夕飯を作っていたことを思うと、スイッチひとつなんて馬鹿みたい、とは考えません。

 

過去は過去。いまはいま。です。

 

元気になったら、また夕飯を全部つくればいいのです。

いまは元気ではないのですから、それでいいのです。

頑張らずに自然にできるようになるので大丈夫です。

 

いまはこれでいいのです



 

 

 

③先のことは考えない

 

「そんなことをしていて、いつになったらちゃんとできるようになるの?」と思うかもしれませんが、とりあえず、いまはいま、にしましょう。

 

遠くを見るのではなく、今日だけでいいのです。先は、せいぜい明日まで。

 

 

「明日から一日二個にして、というふうに計画的に増やしていく」という考え方もあります。

 

ですが、わたしの経験からお話ししますと、計画通りにできなかったときの落ち込みは結構きついです。自分で自分を縛るルールを作って自分を苦しめる必要はないですよ。

 

大丈夫です。増やそうと思わないことがかえって増えていくことになる感じです。

 

それでいいのだ

 

 

 

④できなかった…と落ち込む前に

 

今日は何一つできなかった…という日もあるかもしれません。

 

けれども、どんな状態でも、意外に何か一つはやってるはずです。

息をする、トイレする以外。

たとえば、トイレですませたあと、流しましたか? ちゃんと、それ一個です。ほんとにダメなときはトイレ流せないこともあるのですよ。

ほら、一個できました!

 

 

そんな感じで、一日一個。

 

ちなみに、わたしの昨日の一個は、

「寝る前に、クーラーのタイマーをつけた」

でした。

 

酷暑ですよね〜

 

 

 

 


 

ご家族と周囲の方々へお願い

 

わたしは当事者でありますが、当事者家族でもあります。

家族としての気持ちも十分に味わっているつもりでいます。

 

「こんなこともできないなんて」

「どうしてやってくれないの」

「昨日はやれたのに。三日坊主ならぬ一日坊主だわ」

「ずっとこのまま何もしないでいるのかしら」

「同じ病気の〇〇ちゃんはやってるのに」

「こんな調子でこの先どうなるの」

 

悲しみ、怒り、失望、焦り、疲れ、不安…

 

 

「一番つらいのは本人なんだから」と言って我慢しようとご家族はされます。わたしもそう。

 

でもですね、

家族も周囲もすんごくつらい ですよね。

 

一番とか二番とか、そういう言い方自体がなんか違うんですよ。

 

家族は家族のつらさがある。

 

自分自身のつらさを後回しにする必要はないと思います。

 

 

 

で、本人も家族も両方が辛さを軽くするために、当事者の立場としてわたしからご家族にお願いしたいことがあります。

 

 

 

①期待しないでください

 

わたしたち当事者はそんなにできません。

次の日にできなくても、まあそんなもんか とスルーしてください。

実際、そんなもんです。

 

そんなもんなのです

 

 

②感謝のことば、褒めことばをプリーズ

 

そんなふうに期待できないわたしたちが、なにか一個でもしたら(すごくささいな一つでも)それは天地がひっくりかえるほどの慶事です。

心の中では「なんだ、それくらい、赤ん坊でもできるじゃん」と思うかもしれません。病気がなければ、確かに「そんなことくらい」のレベルです。

ですが、口先でもいいので、「ありがとう」「助かったよ」「頑張ってるね」とひとこと言ってくださいませんか?

 

そのときはぶすっとしたりするかもしれませんが、内心は照れてるし、じわじわと嬉しいものです。自己肯定感も上がります。

 

場合によっては「バカにしてんのか」と突っかかる当事者さんもいるかもしれません。

これは「本当にそう思ってんのかよ」という確認行為であったりもします。

なので「ほんとにそう思ってるのよ」と軽く相手をしてやってください(深刻に話そうとしなくて大丈夫)。

 

まあ、トイレを流して「頑張ったね」と声をかけるのは、逆に本人のプライドを傷つけてしまうので、そこは臨機応変に。

 

ありがとう

 

 

③比べないで

 

「昔はあんなにいろいろやれたのに」と嘆いても、残酷ですが、過去は過去です。

いまは違います。

 

それから他の方と比べてみてもなんの益もありません。

「あの子は復学した」とか「家のことをもっとやってるらしい」とか。

 

あの子と、うちの子は関係ないのです。うちはうち、よそはよそです。

うちの子を見るしかないのです。

これはわたしが今もとらわれて葛藤していることです。いつかお話できたらいいなあ。

 

まあ、そんなふうです

 

 

③先のことは置いて、とりあえず「いま」を見て

 

「今日これができたから、明日はもっと」というのは違います。

メンタルの病気は、直線的なステップアップという図式からは遠いです。

家族が思う以上にうまくはいきません。そういうものです。

だからこそ、小さな一個ができたときはほんとにすごいのです。

 

 

 

 

 


 

 

読んでくださり ありがとうございました。

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