ぴあけあら

双極症当事者(ピア)で、統合失調症の当事者家族(ケアラー)。日々の記録です。

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どんな言葉をかけられたら嬉しいか

 

 

前回 こんな記事を書きました。↓

peer-carer.hatenablog.com

 

 

この前半のはなしをもうちょっと掘り下げたいと思います。

 

もし、メンタルの病気とか障害を抱える子どもを育てているお母さんがいたとして、どう声をかけるか ということ。

 

 

わたしも、これまでもいろいろな人から言葉をいただきました。

 

嬉しかったときもありましたし、そうじゃないときもありましたなあ。

 

 

そこで、嬉しかった記憶、そうじゃなかった記憶を思い出してみます。

 

 

①子どもの高校の保護者会

 

うちの子は中3の頃から不登校で、付属の高校に試験はなんとか受けて入りました。

GW前に行けなくなっちゃったんですけどね。

その最初の保護者会で、一人一人自己紹介をする時間があり、わたしはいまの状況を話しました。

 

帰り際に、見知らぬお母さまが近づいてこられて「大変ね、がんばってね」と言って去っていきました。

 

ちょっと唖然。いまのはなんだったんだろう、あ、親切に声をかけてくださったのか。

 

みなが遠巻きにしているなかで、顔見知りでもないわたしに話しかけるには結構勇気がいったと思います。

励ましたかったということなのでしょう、多分。

でも、どうしてすぐ去っていったのだろう と疑問。

このとき、子どもの状態もあまりよくなかったこともあって、いい気持ちはしなかったなあ。

 

なんだったんだろう…



 

 

 

②子どもの学校のバザー委員

 

バザー委員で一緒だったお母さま。

 

「なにかあったらいつでも連絡してきてね。この学校を中退した人を知ってるの。その人に連絡をとることもできるから、言ってね」

 

これは嬉しかったですね。

もともといい印象のある方だったし、力になるよ、と言ってくれたのが嬉しかった。

実際に、後からその方を通して、中退先輩のお母さんとやりとりをすることができました。

 

実際に助けてくれようとしてくれた



 

 

 

③子どもの小学校のときのお母さま

 

小6の時に子ども会の役員で一緒だった人です。

やる気のないもの同士、仲良くやっていました。

たまたま電話したとき、わたしから不登校のことを話しました。

「そっか。子どもさんはどんな感じ?」とさらに聞いてくれました。話を聞いてくれて嬉しかったなあ。

 

 

 

 

③ブーカスで

 

基本、わたしはプライベートは話しません。深い付き合いはしたくないので。

 

たまに突っ込んでくるおばさまも。

 

「お子さんは?」と聞かれ「女の子がひとり」

 

おばさま「何歳?」

わたし「23です」

おばさま「あーじゃあ学生さん、それか働いているの?家から出て?」

わたし「ちょっと病気があって、家でゆっくりしているんですよ」

おばさま「ああ、そう…」

 

だいたいここで終了です。気まずい感じですね。

 

 

 

たまに「それって、いじめが原因とか?大変よね。うちの子もね」と続けられる方もいますが、たいていが成功談のことが多いですね。

「でも、いまは大学生になって元気にやってるわ」という感じ。

 

 

ありがたいことですが、こちらはさっさと話を終わらせたくなります。

楽観的に成功談に飛びつけるほど、子どもがいい状態ではなかったので。

 

「そうなんですね。良かったですね」

 

 

 

④いきつけの食堂で

 

気安い女将さん。

子どもがちょっと体調を崩しているんだ という話はちょこちょこしていました。

 

女将さん「その後どう?」

わたし「あんまりよくなくて」

女将さん「病院とか行ってるの?心療内科的な」

わたし「はい」

 

その女将さんは、お嬢さんが食堂の二階から飛び降りて亡くなるという辛い経験をされています。

 

女将さん「薬とか飲んでるの?」

わたし「はい、飲んでますね」

 

ここでおかみさん 急に顔を近づけて声をひそめて

「そういう薬、長く飲まない方がいいわよ」

 

はあ、そうですか。

そのとき薬が増えていくこと、それでも症状が一向に良くならないことに、とても悩んでいたのでした。

 

それ以来その食堂には行かなくなりました。

 

そうですよね…

 

⑤通りすがりの人から

 

12月第一週は障害者週間です。この期間、駅前で、周知のためのチラシと、作業所が作った焼き菓子を配ります。

スルーしていく人の中で「頑張れよ」と声をかけてくれる方もいます。嬉しいです。

 

 

 

 

こうして振り返ってみると、声をかけていただいて、嬉しいかそうでないかの違いは、言葉そのものではないようです。

 

・もともとの関係性

・言外に伝わってくる空気感

・話の流れ

・こちらのコンディション

・タイミング

 

 

 

中でも「言外の空気感」の要素が一番大きいと思います。

 

心からこちらを思いやって下さっているのかどうかは、とても敏感に伝わってきます。

 

 

単なる挨拶であったり、

自己満足であったり、

憐憫だったり、

自慢だったり、

意見の押し付けだったり、

 

 

こういうときには、やはり辛くなりますね。

 

 

 

 

 

では、同じ立場の人なら良いか、というとそれも違う気がします。

 

 

例えば、家族会。

 

大抵はお互いの辛さを分かり合えて、「大変よね。お互いに頑張ろうね」と励まし合えます。

けれども、中には不幸自慢の人もいて(「うちの方がもっと大変」)、早く立ち去りたくなる場合もあります。

 

 

それから、同じ言葉かけでも、嬉しく感じるひともいれば、不快なひともいると思います。

先ほどのお菓子配りの時の「頑張れよ」の声に、「偉そうに」と言っている人もいました。

 

受け取り方はそれぞれなのね



 

 

 

 

 

 

 

文字だけの世界だと、さらに難しいでしょう。

ニュアンスが伝わりにくいですから。

 

 

 

代表例はネットの世界。

 

これは、どういう意味なんだろうと測りかねる時もあります。

こちらの思いがそのまま受け取ってもらえなくてつらくなることもあります。

 

 

人は、つらい状況にあると、言葉のストライクゾーンが極端に狭くなるので、優しいはずの言葉をそのまま受け取れないこともあります。

 

 

ときには、後から思い出して、かけてくれた言葉の温かさに気づくこともあります。

今更お礼を伝えることもできず、「申し訳なかったな、ごめんなさい」と心の中で謝ることもあります。

そして、過去にいただいた思いやりが、今になって「頑張ろう」という力になることもあります。

 

言葉の贈り物、気づかなくてごめんなさい

 

 

 

 

 

言葉は難しいですが、辛い状況の人がいたら、「あなたのことを思っているよ」「力になりたい」と伝える言葉は惜しみたくないなあと思います。気持ちはいつか伝わると信じて。

 

言葉にできない時でも、心の中でエールを送りたいです。