中学時代と大人になってから。わたしは、合わせて24年間メンタルの病院とおつきあいしてきました。これまで合計9人の先生に診てもらっています。
やみくもに変えてきたわけではなく、それぞれわたしなりの事情がありました。どういう経緯で医者を変わってきたのかについてお話しします。
心療内科・精神科を受診しようとしている方、受診中だけれども主治医に不安を覚えている方の参考になれば、嬉しいです。
また、お子さんが不登校になられて、受診を考えている親御さんの参考にもなれば幸いです。
主治医遍歴①〜不登校時代〜
中学不登校のときに2人の先生に診てもらいました。
一日中泣いてばかりいて明らかに精神的に変でした。
学校に行かなくなってすぐに、近所のかかりつけの内科から、近場の大学病院の小児科を紹介してもらいました。
わたしの兄弟はてんかんがあり、その大学病院はかかりつけでした。なので、受診へのハードルは低かったのでしょう。わたしはとにかくつらくて 楽になれるなら、と行きました。
初診でしたので、朝から丸一日かかりました。そこの小児科で魔法使い先生に会ったわけです。小児科から、院内の精神科の児童精神科医のもとにうつりました。
魔法使い先生の話↓
1人目:「あなたも頑張って」先生
まだ子どもでしたし、頭がぼんやりしていて、自分の感情もよくわからず、言葉が出ません。初診のときは、学校でのことをわたしから話しましたが、2回目以降は沈黙が続きました。
先生も困ったのでしょうか。何回目か診察のときに、唐突に自分語りを始めました。父親にとても反対されたけれど、頑張って二浪して医学部に入った、それからも勉強と研修で苦労してきたという話。「だからあなたも頑張って」と。
わたしは、一気に先生のことが嫌になってしまいました。
先生はとても苦労されてきたのだろうけど、それってわたしと関係ないし。わたしの辛さは大したことないと言われたように感じました。
先生は、普段ひとには話せないことを一生懸命わたしに話してくださったのだと思いますが、わたしにはわからなかった。
元カウンセラーの視点からすると、一般的にカウンセリングは、クライアントの問題を扱う場であって、カウンセラーのプライベートは持ち込みません(持ち込むのは適切ではない)。ですが、いろんなスタイルがあるとは思いますから、カウンセラー自身の話を聞いて、回復に向かう例もあるかもしれません。
2人目:「だからダメなんですよ」先生
大学病院には行かなくなってしまい、親は情報を集めてくれました。そして、どこからか聞いてきた児童精神科のある子ども専門病院に行きました。親は社交下手で友人知人もほとんどいなかったのに、必死になってくれたのだと思います。
当時、児童精神科は日本でも数えるほどしかなく、予約してから1ヶ月待ちました。今は、都心では半年待つのはざらだと聞きますから、もっと大変になっていると思います。
主治医は、いのちの電話の開設にかかわった有名な先生でした(そのときは知らなかった)。掠れ声で言葉少なめ、というかほとんど話さない先生でした。
学校に行けずに苦しくて、生きがいは少女漫画。新巻の発売だけを楽しみに生きていました。
「漫画を、発売日当日に手に入れないと気が済まないんです」
と、わたしは先生に話しました。
すると先生は一言。
「だからダメなんですよ」
それだけ。
「はい、また次回」 とその日の診察は終わりました。
唖然としてしまいました。
ショックはなく、冷静に「そうだよな、こんなことしてる場合じゃないよな、学校いこう」と思いました。
その後、学校にすんなり行けるようにはもちろんならず、半年以上はかかりました。
先生の一言は、わたしのタイミング的によかったのだと思います。たまたま。
結局、病名はなんだったのでしょうか。親は聞いていたのかもしれませんが、継続的に治療が必要とは言われていなかったようです。
苦しい症状がなくなり、中学卒業の時点で診察は一区切りとなりました。
後日談
先生は、たまたまうちの近くに住んでいらして、駅前のスーパーで、夕方ひとり長ネギを買っているのを見かけました。
確実にわたしに気づいているはずなのに、気づいていないふりをしていかれました。
プライベートで患者に会うって嫌ですよね。わたしも仕事をするようになって初めて知りましたよ。
後日談その2
仕事を始めてから、先生に診てもらったことがあるという方に出会いました。偶然です。
その方は、先生の説明足らずな診察で、混乱している様子でした。
先生、相変わらずですね…
このあと、10年以上経って、またメンタルの先生にお世話になることになります。つづく。
読んでくださりありがとうございました。