今日は、月一回の対話会でした。
人数は少なめ。わたし入れて4人。
雑談モードで始まって、そのまま切れずに雑談が続き…
どうしよう
話が切れない。
このまま流れにまかせていったほうがいいのかな、と迷いました。
いや、一回は仕切り直そうと思い、お約束(批判、否定はしないこと等)を皆で確認する時間をとりました。
強引ですみません💦と恐縮しきりでしたが、雑談に入っていなかったお一人が声を出すことができたので、よかったかも?
先ほど話を途中で切り上げていただいた方に、トーキングピース(ぬいぐるみ)を渡して、再度スタートしました。
今回のメンバーのうちのお一人は、アドバイス大好きな人。
別の方がトーキングピースを持っていても、「それはね」とアドバイスが始まります。
もちろん悪気はない。
むしろ自分の経験からいろいろ伝えて、解決してほしい という善意に溢れています。
でも、アドバイスがそのうちにその人の自論スピーチの会になり、他のメンバーは聴衆になってしまいます。
さらに、その中で根拠のない病名、診断名を出して「あなたはそうじゃないですか?」とも言う。
ちょっと困ったなあ と、以前からわたしは思っていました。
でも、今回は、残りお二人が「アドバイスが欲しくて今日は来た」とおっしゃっていて。
もう1人はアドバイスしたい人だし(ここでは「アドバイスさん」と呼びます)。
そんなわけで、今日はアドバイス大会でもいいかな、と思っていました。
冒頭から、アドバイスさんは絶好調です。
トーキングピースのぬいぐるみを片手にとうとうと。
他の方が話していても、いつものようにアドバイスさんは話をし始めます。
ですが、こういうターンを何度か繰り返しているうちに、アドバイスさんが少しトーンダウンしているような感触が伝わってきました。
ああ、アドバイスさんも話したかったんだな。
助言という形ではあるけれども、自分の話をして、それを聞いてもらいたかったんだな。
一瞬トーンダウンしたか、と思いましたが、その後また盛り返してきたので、わたしはずっこけましたけどもね(表現が古くてすみません)。
助言って、熱が入ると、意見の押し付けになるのですよね。
圧になる。
もっと困るのは、なんとかしてあげようという気持ちから、苦しみや辛さに話がフォーカスされてしまうことです。
そうすると、会の雰囲気が暗く、つらく、ネガティブになるのですよね。
カウンセリングとか治療の場なら苦しみを取り上げるのですが、この会はそうではない。
負のものが湧いてきても、それを扱える専門家はいないわけですよ。
皆が負に巻き込まれて、手に負えなくなる。
そうではなくて、こういう対話の会は、一人ひとりが、気持ちにゆとり、というか、余白みたいなものを感じる場だと思うのですよね。
たとえば、回復してきているひとが自分の回復を語ったときに、「それを聞いて楽になりました。希望が持てました」と言うかたがいます。
なぜそう感じるかというと、自分が今苦しみの真っ只中にいて、それだけでいっぱいになってしまっていたところで、誰かの明るい話を聞く。そうすると、自分のいまの苦しみから少し離れて、遠くの未来を見れるから、というのが大きいと思うのです。
心に余白ができるのですね。
話が一つの方向、しかも悪い方向に収束していきそうなときには、「スイッチャー」という役割が大事になります。
話の視点をずらす人です。
前回の記事で紹介した『生き心地の良い町』という本の中で、こんなエピソードが書かれていました。
電車の中で、女子高生のグループが、ここにいないクラスメートについて話していたそうです。「彼氏ができて、浮かれていてやだ」みたいなこと。ヒートアップしていく会話の中で、1人が「でも、彼氏がいるっていいなあ。わたしいないし」と言ったら、他の2人がプッと吹き出し、「そうだねえ」。そのまま話題は他に移っていったとのこと。
「彼氏がいていいなあ」と言った子がスイッチャーです。
話を切り替えるスイッチを押す人。
スイッチャーは空気が読めないとか、天然と言われる人だったりします。
話は戻りますが、わたしはスイッチャーになるように、と試みました。
でも、暗い方へ引きずられる会話って、引きずり込む力が強いのですよねー
難しかったです。
そんなこんなで、ヒヤヒヤしながら、閉会の時間。
クロージングということで、一人ひとりが今日の感想を言って終わり になりました。
クロージングの1人目は例のアドバイスさん。
なんと、そこで、アドバイスさんは、とてもステキな一言を言ったのです。
その一言で、わたしも含めて皆から、ほぉ〜っと感嘆の言葉がもれました。
とてもポジティブな一言でした。
やだー
アドバイスさんやるじゃない!
って、偉そうですみません💦
(もちろん心の声です)
まあそんな感じで、今日も綱渡りの会が終わりました。
最後に、みなで机を片付けているときに、「来月来なくてもいいのでしょうか」と言ってきた方がいました。
出欠もとらない、自由な会ですからね。
来るも来ないもその人の意思で、気分です。
傷つき体験で来れない、ということでなければ、全然問題なし。
この方はどうなんでしょう。
今日の会が傷つき体験になっていなかったならいいけどなあ、と願っていますが…。
クロージングのときに、「辛かったこととかモヤモヤしたことも、この場に出していいですよ」と付け加えたらよかったかな。
長い記事を読んでくださって、ありがとうございました!