ぴあけあら

双極症当事者(ピア)で、統合失調症の当事者家族(ケアラー)。日々の記録です。

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修復的対話について〜コロンバイン高校銃乱射事件〜

 

 

わたしの関心は、オープンダイアローグから「対話」へと広がってきています。

 

今読んでいる本はこれ↓

 

 
 
 
 
 
修復的対話は、争い、葛藤がある関係の人たちで対話をすることで、人生を修復しようというものです。
 
 
お互いにマイナス感情は残るし、理解し合えない部分は明らかなのですが、「それはそれ」としてやっていく方法を模索するみたいなことのような印象です。
それにより「人生を前に進む」ということなのでしょう。
 
 
 

 
 
 
 
 
修復的対話は
 
 
「あれか、これか」
ではなく
「あれも、これも」
ではなく
「あれでもなく、これでもなく」である
 
 
と書かれています。
 
 
 

 
 
 
◎「あれか、これか」
例)何かを決める場面、正しいことを決める場面
「Aは違う、Bも違う、正しいのはC」というように、他の選択肢を排除して一つに決めます。狭めていくという感じ。
日常生活での合意形成はたいていこれです。医師による病気の診断もこれです。
 
 
 
◎「あれも、これも」
例)オープンダイアローグ
複数の意見、考えを、どれが正しいとあえてしません。どれも同じ価値、同じ可能性がある。そこで出た意見をすべて「毛糸玉を目の前のお盆にそっと載せる感じ」で置いていきます。「これもありだね、あれもありだね」です(精神科医 斎藤環氏)

 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
◎「あれでもなく、これでもなく」
例)修復的対話、修復的司法
間に葛藤を抱える人たちが複数集まって対話をする場面では、どれか一つの意見を選ぶやり方では葛藤がさらに深まります(「あれか、これか」)。
一方「あれも、これも」にすると、対立は続き平行線です。
わたしの意見もある、あなたの意見もある、でも、第三のものを探そうと対話を重ねる。「落とし所を探る」という感じなのでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
修復的対話は、非常に深刻な対立関係のある人々の間で、行われることがあります。
その例が「修復的司法」です。
 
 
 
何か事件が起きたとき、法律で裁かれます。
しかし、法律では解決しきれない部分が大きく、そこに大変な苦悩があります。
 
 
 
例えば、人が傷つけられる事件があったとしましょう。
 
失われた命は戻ってきませんから、被害者側は刑罰と金銭で償いを要求するしかありません。
 
加害者からの手紙を求めることもあるようですが、一方的な行為ですし、義務ではありません。
加害者の本当の心はわからない。被害者側から加害者に訴えることはできません。
 
被害者は、苦しみの中にとどまり続け、「回復」に向かえないのです。
 
 
一方、加害者側も「償いたい」「謝罪をしたい」と思っていてもそれを伝える司法手段はありません。
 
 
そこで取り入れられているのが「修復的司法です」
 
 
 
 
 
 
1999年、アメリカの高校で在籍する生徒二人が銃を乱射。二人は校舎内にとどまり、恐怖の中で13人(教師を含む)が死亡。多くの生徒たちが傷つけられました。わたしの記憶では、スクールシューティングの最初の事件だったと思います。
 
 
 
この事件を題材にした映画

 
↑監督が自ら取材したドキュメンタリー映画。
 
※以下ネタバレ
加害少年二人は、事件を起こす直前にボーリング場に立ち寄り、ボーリングをしています。TVゲームの悪影響が盛んに言われていたそうですが、「TVゲームのせいにするなら、なぜ直前に遊んでたボーリングのせいにしないの?」と、当時の風潮を皮肉ったタイトル。銃社会の問題に切り込んでいく内容です。
 

 

 

↑ 事件を題材にしていますが、全くのフィクション。巻き込まれた少女の話。

 

 
 

 
 
 
 
修復的司法に話を戻します。
 
 
 

「修復的司法」とは何だろう。欧米で始まった「修復的司法」を日本で実践する一人である鴨下智法弁護士に聞いた。 鴨下氏によれば「修復的司法」とは、犯罪を地域コミュニティのなかで起きた「害悪」ととらえ、犯罪行為によって最も直接的な影響を受けた被害者・加害者・その家族らの「害悪からの修復」を、従来型の司法=裁判ではなく、対話によって目指すという考え方だ。鴨下氏も、被害者遺族の「回復」には「修復的司法」が有効だと考え(以下略)

<前出記事より>

 
 
 
 
被害者、加害者が集い、対話をすることによって、両者の分断に橋が架けられ、被害者の回復につながっていくそうです。
 
 
 

ある時、対話を経た加害者の家族が、憑きものが落ちたような、重荷から解放された表情を見せたことが印象に残っていると鴨下氏は話す。罪を犯した者にどういう罰を与えるのか論じて量刑を決める従来型の司法では得られない、関係した人たちが少しでも日常を取り戻し次の一歩を踏み出す「回復」を「修復的司法」は担うという。

 

加害者側にも回復をもたらすということのようです。

 

加害者側には刑罰を、だけでは、彼らは後の人生を歩んでいくことはできません。

加害者家庭は崩壊し、荒んだ心を抱え続けることで犯罪を繰り返す人は多いです。

生活の苦しさが追い討ちをかけます。

そこに子どもがいた場合には、子どもは被害者になります。

それが次の加害者の再生産につながってしまうこともあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロンバイン高校の事件では、容疑者の少年二人はその場で亡くなっています。
 
 
 
息子を亡くしたトム・マウザーさんは、加害少年の親に会いたいと思ってきました。
事件の背景を知りたい。
 
 
 
 
弁護士を介して、トムさんは妻と共に、加害少年のうちの一人であるハリスの両親と会い、対話の場を持つことができました。
 
 
 
 

会ってみてトムさんが感じたのは、彼らがごくありふれた人間だということだった。想像していたような、“殺人者の親”ではなかった。離婚やアルコール中毒で機能不全に陥った家庭が”殺人者”を作り出すのだと考える人は多いだろう。でもそうではなかった。これは誰にでもどんな家庭でも起こり得ることだと思った。

 

 

トムさんの妻は、対話の最後、ハリスの両親に向かって「あなたたちの息子がしたことを赦します」と言った。トムさん自身は、殺人を犯したことについては赦すことはできないと思ったが、「ハリスたち2人が孤独な魂を抱え、出口も見えない中で彷徨っていたことについては赦すことができる」と私たちに語った。

 

 

 



 

 

 

 

 

日本でも、修復的司法の活動をしている団体があります。記事にある鴨下弁護士は、修復的対話を行うNPO法人「対話の会」を運営しているそうです。

 

 

 

どんな対話であっても、その場よりもむしろ準備の方が本番と言われます。

 

 

 

修復的司法には、間に入る弁護士などの司法関係者や、対話の専門家がかなり入念な準備をする必要があるでしょう。

 

 

そして、被害者側、加害者側には、最も大切な準備が必要です。

「心の準備」です。

この準備が整うまでには長い時間がかかります。

 

 

修復的司法は、困難を極める手段ですが、被害者が回復するためには、この方法しかないのかもしれません。 

 

 

 

 

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