ぴあけあら

双極症当事者(ピア)で、統合失調症の当事者家族(ケアラー)。日々の記録です。

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対等ということ〜自分の権力に気づく〜

 

 

ここ二、三日、子どもと、結構ガチでやりとりすることが続いていて、

消耗しております。

 

 

そんな中で、昨夜は勉強会がありまして。

課題の本を一ページも読まずに参加するという、勇気ある行動をしてまいりました。

 

 

というわけで、ますます消耗。

 

今日はsango8 (id:sango8)さまを見習って、

ダメになる前のグタグタをしております。

攻めのグタグタです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は訪問看護さんが来てくださり、子どもの話をとても丁寧に聞いてくださいました。

 

子どもは、その時間は少し落ち着けた様子でした。

 

 

訪問看護師さんの姿勢を見ていて、気づいたのは

「対等性」

ということです。

 

「この人は患者だから」

「わたしは支援者だから」

というのが一切ないのです。

 

人と人として、話を真剣に聞いてくださる。

 

だから、否定することもなく、「そんなことは大したことない」と軽く扱うこともなく、「みんな乗り越えているんだ」と説得しようというのもありません。

 

彼女の不安、心配なことを身を乗り出して聞いてくださっていました。

ご自分の辛かった話も、そのまま打ち明けてくださっていました。

勇気がいることだったと思います。

 

 

 

 

 

今わたしが勉強中のオープンダイアローグには7つの原則があるのですが、

カウンセラーの向後義之さんは、最も大事な三つとして

 

 

・対等性

・多様性

・不確実性への耐性(結論を出そうとしない)

 

 

をあげています。

 

 

 

 

 

向後さん主催の会「酔いどれカウンセリングセミナー」。毎週金曜日 無料でオンライン参加できます。フェイスブックで申し込み受付。アーカイブ公開中。


www.youtube.com

 

 

 

わたしと娘とのやりとりで、わたしが忘れていたのは、この「対等」ということでした。

 

 

対等性の逆が「権力の勾配」です。

 

 

 

 

権力の勾配は至るところにあります。

 

私的なコミュニティでは、親子、兄と弟、本家と分家、自治会長と住民など。

公的には、先生と生徒、上司と部下、医師と患者、監督と選手、支援者と利用者、店員と客など。

男女差別も権力の勾配と説明できます。

 

 

権力の勾配には、支配ー被支配があります。ハラスメントは権力の勾配があるところで起こります。

弱い側は勾配に苦しみますが、強い者は権力側にいることにすら気づきません。

上に立つと誰でも気持ちがいいです。

無自覚ということが大きな問題なのです。

 

 

 

わたしは、子どもとの間に権力関係があることに無自覚なことに気づきました。

 

 

だから、先日の対話的なやりとりがいまひとつ機能しなかったのかもしれません。

 

 

対話場面に限らず、生活の全ての場で対等であることはとても難しいです。

 

特に、こちらが庇護する側であると、よほどの意識がなければ、対等を維持するのは至難なことです。

 

 

先日、リアル当事者会に参加しました。

とても対話的な会で、大変いい時間を過ごすことができ、宝物のようなひとときでした。

 

この会で強く印象に残ったのは「対等性」でした。

 

 

ファシリテーターは、その施設の支援職の方でした。

よく見ていると、その方が、常に、他の参加者の方々よりも自分を「若干に下」に置いているのです。

 

 

支援者と当事者の間には、すでに力関係があります。

なので、全く対等にしようすると、どうしても支援者が少し上になってしまいます。

 

 

ですから、あえて、自分を少し下に置く。

別の言い方をすれば「謙虚に徹する」ということかもしれません。

 

 

この「少し」という塩梅が、おそらくすごく難しい。

下すぎると、卑屈になって、今度は逆の勾配が生まれるからです。

 

 

 

 

 

またここで、わたしの推しブログのじゅんじさまの記事

junji-greenlab.hatenablog.com

 

じゅんじさまは、仲間と話し合いのイベントをされたそうです。

そこにこのような文がありました。

 

 

反省③”自分の立場が偉く見えてくる”

この話し合いの

僕の中でのルールは

全員平等であることです。

 

知識量や年齢、立場に関係なく

全員がフラットで話し合うことです。

 

しかし今回は

僕が主催で、僕が司会で

僕が日常から勉強しているテーマであったので

僕の立場は上になってしまっていました。

 

平等でいたいのですが、

発言者が僕に答え合わせをするように

チラチラと僕を見ながら話しています。

 

どうしたらいいのでしょうか?

 

「司会にはタメ口で話しかける」

というようにした方が良いのでしょうか?

 

これはどうにかしたい問題です。

 

 

じゅんじさま、いつもありがとうございます。レスポンスはなくていいですよー

 

 

 

親子関係には必ずと言っていいほど、権力関係が生じてしまいます。

 

ともすると、親は偉くなって「いい気分」に浸ってしまいます。

 

きっと子どもはすごく嫌な気持ちをしていることでしょう。

正直に自分を出すなんてことができるわけありません。

 

 

 

 

無料zoom対話会の「こころの木曜会」。

わたしが開くのですが、「対等」をどうしたら実現できるのか、試行錯誤したいと思います。

 

 

ありがとうございました!

 

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