ぴあけあら

双極症当事者(ピア)で、統合失調症の当事者家族(ケアラー)。日々の記録です。

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子どもが学校に行けなくなった親御さんへ

 

 

学校の夏休みが明けたいま。

 

気がつけば、テレビ、新聞、ネットニュースでは、学校に行けなくなった子どもたちに向けての言葉が多く発信されています。

 

 

今日は、親御さんに向けて、わたしの考えていることを書きたいと思います。






 

 

 

 

 





 

 

我が子も不登校を経験しています。

 

 

はじめは小学一年生のとき。いま思うと、発達の特性で、集団になじめず、学童でいじめにあっていました。

 

 

次が小4。

転校先で馴染めず、いじめにもあい、教室で先生から他の子への体罰を目にしたショックで行けなくなりました。このとき、発達支援センターで自閉スペクトラムの診断を受けました。

 

 

そして中3。

集団に馴染めないままがんばっていた中学時代でしたが、唯一仲の良かった子とクラスが離れて、いじめにあい、行けなくなりました。そしてODをして入院。退院後、保健室登校でなんとか卒業。このときの診断は双極症でした。

 

 

高1。

いじめの主犯の子とクラスは離れましたが(中高一貫の私立)、心の状態が悪くGW前から行けなくなりました。休学し、退学。

 

 

その夏から、不登校の子が行く専門学校的なところに入学。いい出会いもあれば、そうでない出会いもあり。そこに所属しながら通信制高校にも挑戦。どちらも行けなくなり、統合失調症を発症。

 

 

で、いま20代前半。家で療養中です。



 

 


 

 

 

 

書き出してみて、ほんとうに無理をさせてきたと思いました。

 

 

行けなくなるたびに、わたしが悩み、半狂乱になりました。

 

行かなくてもよいと口では言いながら、行ってほしい。

どうして行けないのか。怒りとやるせなさは子どもに向い、子を追い詰めました。

わたし自身が、不安でたまりませんでした。

高校を中退したあとも、新しい学校に通わせようと無我夢中でした。

 

 

 

学校に無理に行かせたから、統合失調症を発症したわけではないと思います。

 

 

ただ、あれほどつらい思いをさせた意味は、いまの子どもにはまったくなかったと断言できます。

 

 

もちろん、いい先生に出会えたこともありました。たまにできた友達との思い出もあると思います。それらは学校に行かなければ得られなかったことでしょう。

 

 

ですが、我が子の場合、それを遥かに上回るつらさがあった。

それを乗り越える強さがなかった子でした。特性でもあったのでしょう。

 

 

つらい体験の積み重ねが、いまも子を苦しめています。

トラウマのフラッシュバックもそうですし、自分を否定された体験を繰り返すことで自尊心が損なわれています。




 


 

 

 

 

わたしも不登校経験者です。

 

 

ブログを始めたばかりの頃、自己紹介代わりの記事に書きました。

その後大学院まで進み、専門職につきました。

その経歴はいまでも自分を支えてくれています。

 

 

ですが、それはわたしが頑張ったからではありません。

 

 

ただ

 

 

運が良かった

 

 

からにすぎません。

 

 

35年前というのどかな時代

荒れていない学校

理解のある先生

児童精神科の医師

わたし自身がそれなりに学力があったこと

学力を支えてくれた塾と家庭教師の先生との出会い

進学した高校のクラスメイトの自由な雰囲気

 

 

このうちの一つでも欠けたら、大学院には行くことはなかったでしょう。

 

 

 

わたしのような幸運なケースは、実はとても少ないです。

 

 

不登校を武勇伝のように語るひとを知って「あの人も不登校を乗り越えたのだからうちの子も学校に戻れる」と安易に考えるのはやめたほうがいいです。

 

 

子どもはもちろん、あなた自身をも追い詰めることになります。

 

 

 

 

特に、いまは戻れない子は増えています。

 

原因はいろいろ分析されています。

現代の子の脆弱さ、学校生活の多忙さ、均一性をますます重視する風潮、不況による抑圧された空気感…

 

 

いくら分析したところで、目の前の子が 学校に行けず苦しんでいることには変わりはありません。

 

 

そして、育て方うんぬんではありません。

あなたのせいではありません。

親のせいというのなら、これほど不登校児が増えている説明がつきません。

日本はそんなにダメな親ばかりなのでしょうか。

 

 

大丈夫です。

現代ではどんな子でも不登校になるのです。

 

 

 

 


 

 

 


なかには、発達の特性があり、学校の理解と協力があればやっていける子もいます。

 

 

我が家の経験上、発達特性のある子は、オープン(学校に公表し支援をお願いする)がおすすめです。そのほうが、確実に学校に戻りやすいと思います。

 

発達の特性があって、不登校になっている場合、クローズ(学校には言わずに単なる個性的な性格として通す)は、子どもにとってキツいと思います。

 

 

理解と支援、自由度のない学校生活では、子どもに余計な苦労、自信のなさ、挫折感を味合わせることになります。子どもはそれを一生抱えていきます。発達の特性よりも、そちらのほうが人生に深刻な影響を与えます。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

あるいはいじめの問題があります。

 

どう考えても加害者をなんとかすべきで、被害者が一方的に傷ついて学校から撤退せざるをえないというのは絶対におかしい。

 

けれど、日本の学校は、そういうふうなのです。

 

子どもが被害にあって、不登校になった場合は、子どものメンタルケアをしてあげる必要があります。そして学校と交渉し、子どもが戻りやすいような環境を作ってもらう必要があります。

 

親はすごく大変です。子どものケアと学校とのやりとりを同時進行させなければなりません。

 

もちろん優先は子どもです。子どもの傷つきの程度は、いじめのひどさに比例しないことも多いです。相談所や医療機関などの専門家に頼ることも視野に入れたほうが回復しやすいです。

 

子どもが元気になってきて、学校に戻る意思が出てきそうなところから、学校とやりとりを始めても遅くはありません。

 

大事な子どもを傷つけられて、親自身も傷ついています。親もセルフケアに努めてください。

 

 

学校との交渉ですが、いきなり対決姿勢をとると、確実にこちらは負けます。

 

学校のなかで味方になってくれる人を見つけるところから始めてください。保健室の先生、スクールカウンセラー、部活の顧問…  味方を作りながら、組織全体を巻き込むかたちに持っていくように。「困っていてどうしていいかわからなくて、ぜひあなたに相談したい。あなただから相談したい」と言って無碍にする先生はまずいません。必ず同情して力になろうとしてくれるはずです。それがどこまでやってくれるかはさておき、ですが。

 

学校は古い組織です。学校的な手順を守ることが最も大事です。いきなり校長に言ったらモンペ認定されて、まともに相手をしてもらえなくなります。第一手を教育委員会にするのは、もってのほかです。

 

味方は味方でキープしながら、この先生はダメだろうと思っても、担任→学年主任→管理職というふうに、手を進める。外部組織(教委)は、教頭、校長が動かないときの最後の手段です。

 

 

大人が介入せずに、いじめっ子に立ち向かってギャフンと言わせられる子は、運に助けられています。夫はそうでした。夫はとても運がよかったのです。

 

SNSなどいじめが深く潜っている現代では、ギャフンは不可能です。「やり返せ」というのは、子どもを追い詰めてしまいます。いじめは、確実に子どもの心を壊していきます。完全に壊れてしまうまで、いじめは続きます。壊れてしまってからでは遅い。いじめの不登校は、壊れないための防衛手段なのです。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

あるいは、なんらかの精神疾患を発症している場合もあります。

 

 

知られていないようですが、統合失調症の発症は10代〜20代に集中しています。

一番のピークは14歳。中学生です。

若くして発症した人たちは、必ずその前後に不登校になっています。

 

 

精神の病気は、早く治療を始めれば始めるほど予後がいい病気です。

それこそ一生にかかわります。

 

 

子どもがこれまでと様子が違う、学校に行けない となったときには、この病気の可能性を考えて、医療機関に連れて行ってあげてほしい と思います。

 

 

 

 


 

 

 

 

我が子の話に戻ります。

 

 

学校にしがみつかなくても、いずれは統合失調症は発症したでしょう。

 

当初、自閉だと言われた特性が、いまでは、実は統合失調症の前駆症状だったのではないか、と主治医からは言われていますから。

 

 

けれども、これほど重い状態になったのは、学校のつらい体験が多くありすぎたからではないかと思うのです。

 

 

この先、おそらく我が子は、この病気と一生つきあうことでしょう。

状態が重いので、これからも苦労はあると思います。

社会には福祉的に参加するのが精一杯かもしれません。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

学校に行き続けることで得られることはあります。

経験も学歴も出会いも。

若いときにしか得られないものがたくさんあります。

わたしは学校時代、不登校の時期を除いたら、とても楽しかった。

 

 

もし、学校で、ポジティブなものが多く得られるのであれば、それは運によるところが大きい。

あなたが楽しい思い出があるとしたら、それは運がよかったから。

時代も違います。

 

 

反対に、学校生活で、耐えられないほどのつらいものを得てしまう場合もある。

 

たとえ学校を続けたとしても、のちに、人生の長い期間、苦しむことになるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

不登校で苦労した子が、あとになって「あのとき、親が学校に行くように強く言ってくれたらよかったのに」と言うことはまずありません。

もしそう言うひとがいたら、それは鬱憤をぶつけているにすぎません。

 

 

逆に「親が『学校に行け』と言わなかったら、あんなに苦しい思いはしないですんだのに」という人は大勢います。

それが親子の遺恨になる場合もあります。

 

 

不登校経験を前向きに捉えられているひとの多くは「親が登校を強制せず見守ってくれた」と言います。

また、すぐに医療機関に連れて行ってくれたことを感謝するひともいます。

 

 

 

 


 

 

 

 

学校に行けなくなった我が子を見ているのは本当につらいことです。

 

 

親のエゴかもしれませんが、のちのち苦労することがわかっている方向へ向かおうとする子をなんとか救いたい と思うのは当然です。

 

 

親ならば、命がけで子供を守ります。

大切だから。愛しているから。

 

 

けれども、いまのこのとき、親がしゃかりきに学校に向かわせることが、子どもの一生の苦悩に繋がってしまう可能性があることを、頭の隅に置いておいてほしい と思うのです。

 

 

登校させることにこだわる学校は、まだまだ多いです。

門の前まで来させるように、とか。

子ども自身がそうしたいと言うなら別ですけど。

 

登校刺激という言葉を使う先生もいます(これは古い考えだと思います。これで来れるようになる子は今の時代どれくらいいるのか、とても疑問です)。

 

子どもがつらく、親もつらいのに、先生の言う通りにする必要はないと思います。

 

先生は所詮学校の中だけの付き合いです。一生ついてきてくれるわけではありません。

無理をしすぎて後から精神のバランスを崩しても、先生は誰も責任をとってくれません。

 

なかには、本当に親身になってくれる先生もいます。そういう先生は、登校だけにこだわらないはずです。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

人生、元気があればなんとかなります。

 

 

 

学校に行かなくても、子どもが元気でいること。

 

それは本当に尊いことです。

 

 

子どもが元気でいることが、当たり前ではない時代なのです。

 

 

元気であれば、遠回りしても、その後の80年間の人生には大したことではありません。

 

 

目の前のことに振り回されないように。

 

 

とにかく、親子ともに元気でいてくださいね。

 

 

 

読んでくださり、ありがとうございました。