ぴあけあら

双極症当事者(ピア)で、統合失調症の当事者家族(ケアラー)。日々の記録です。

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発達障害児の親は「先生になっちゃダメ」

 

 

 

こんにちは。ピケといいます。



 

我が子は小4のときに自閉症スペクトラム障害と診断されて、十代半ばで統合失調症になりました。



 

 

ちなみに、いまの主治医は自閉の診断には否定的です。つまり合併しているわけではないとのこと。



 

ここらへんのこともいつか書きますね。

 

 

 

 

 

わたしは、以前、仕事で療育機関の先生たちと親しくさせていただくことがありました。

そこで、いろんなことを教えていただきました。



 

 

 


 



 

 

 

ある親子の話です。

 

 

 

 

 

彼は4歳だったかな?

 

 

 

身体は大きめで、静かで穏やかな男の子。

 

 

言葉を出すことはめったになく、一見、無表情に見えます。

ですが、よく見ると、表情はかすかに変化していて、むしろ情緒豊かな子でした。

彼がじんわりと幸せそうな顔をしていると、こちらまでほんわかと幸せな気持ちになりました。

 



ちなみに診断は、軽度知的障害と自閉症スペクトラム障害でした。

 

 

 

 



 

 

 

 

 

彼には小さい弟がいて、お母さんはレスパイトを時々利用していました。

 

 

 

 

あるとき、彼がレスパイトで、スタッフと一対一でお絵描きをしていました。

 

 

静かで穏やかな時間がゆっくり流れているお絵描きタイム。

 

 

 

教室の廊下から覗いたわたしは、ほんわかと癒されていました。

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

主任保育士さんが来て、わたしに話しかけました。

 

 

「〇〇くん、楽しそうでしょ? いつもよりもリラックスしてない?」

 

 

 

たしかに。

 

 

 

 

言われてみると、彼はいつも通り穏やかですが、より自然に伸びやかに見えました。

顔には微笑みも浮かんでいました。

 

 

 

 

主任さん「ああいう表情をね、ほんとはここでじゃなくて、おうちでできたらいいのにってわたしは思ってるの」

 

 

 

 

主任さんの話では、

彼のお母さんは、もともと大都市のNICU(新生児救急)の看護師さんだったそうです。

全国的にも有名なNICUなので、お母さんはとても優秀な看護師さんだったのでしょう。

 

 

 

 

その話を聞いて納得しました。

お母さんは気さくな方ですが、大変賢くて機敏で元気。行動力がありました。

 

 

 

 

「お母さんは、ほんとに熱心で、家にどんどん療育を取り入れているの。毎週日曜日は、必ず一家で、どんどこ山に登りに行くのよ。体力づくりと体幹を鍛えるために」

 

 

 

どんどこ山 というのは、近所にある小山です。

年長さんや小学一年生の、一日がかりの遠足にちょうどいいです。

 

 

 

 

「でもそれは療育の場でやることなのよ。

たまに家族でどんどこ山にハイキングして、お弁当食べるのはきっと楽しいでしょう?

でも、家の決まりにしちゃうのは違うと思うの」

 

 

 

 

「おうちはね、『頑張ったね〜』ってのんびりゆっくりして、息抜きできるところであってほしい。おうちでゆっくりできるから、次の日の療育がまた頑張れると思う」

 

 

 

 

「お母さんはたぶん、おうちで看護師をやってるのよ。優秀だからそれができちゃう」

 

 

 

「彼はね、ほんとはお絵描きとおままごとが好きなの。お母さんにも知ってほしいんだけどな…」



 

 



 

 

 

 

 

このお母さんの気持ち、すごくわかります。

 

 

 

 

愛する我が子の発達を伸ばして、将来生きやすくなってほしい。



そのためには自分のできること総動員して全力で頑張ろうとする。

 

 

 

わたしだってそうするだろう、と思いました。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

数年たって、我が子が発達障害と診断されました。

 

 

 

 

どうしていいかわからなくて、苦しくて、この主任さんに電話をしました(わたしはこのとき遠くに引っ越していました)。

 

 

 

 

 

「ピケさん、先生やっちゃダメよ。お母さんでいてね」

 

 

 

 

 

 

 

実際、先生なんてとてもやれませんでした。

悩んで、右往左往する、一人の母親にしかなれませんでした。

 

 

 

十分なことはしてやれなかったし、後悔ばかりが残っています。

もっとこうしてやったら違ったんじゃないか、とあれこれ思います。

いまでも情けない母親です。

 

 

 

 

ですが、

 

 

我が子の心理の先生にならなかったことが、唯一あの子にしてやれたことだった

 

 

と思います。

 

 

 

 

それなりに仲の良い親子関係を持てているのは、もしかしたらそのおかげかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

読んでくださり、ありがとうございました!