ぴあけあら

双極症当事者(ピア)で、統合失調症の当事者家族(ケアラー)。日々の記録です。

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認知行動療法に対する、わたしの懐疑的な考え

 

 

 

こんにちは。

うつ当事者で、統合失調症の家族をケアしていますピケといいます。

 

今、大学病院でやってる認知行動療法講座に参加しています。

 

 

これまでずっと認知行動療法に対して懐疑的な気持ちがありました。

 

なのに、なぜ今さら受けているのか といいますと、

自分が当事者として受けたら、どんな感じなのか

を知りたかったからです。

 

 

それと、わたしにはこの療法を感情的に嫌ってしまった過去があり…

今の自分はどう思うか、試してみたかったのでした。

 

 

 

 


 

 

 

 

話は学生時代にさかのぼります。

 

 

今から30年前、アメリカから認知療法が入ってきて、現場で取り入れる心理士が出てきていました。その発展版として、認知行動療法も日本で広まり始めていました。

 

 

わたしのいた大学院で認知療法、認知行動療法の旗振り役になっていたのは、ある講師でした。

 

彼女は、若く、美しく、気さくな笑顔が魅力的でした。助手から講師になり、初めて受け持った講座で精力的に指導していました。

 

 

そんな彼女に魅了されたのは、わたしより下の学生たちでした。

彼らは、心酔というレベルで、彼女の指導を盲目的に受け入れているようにうつりました。

 

 

 

 

ですが、わたしを含めて上の学生たちは冷やかでした。

 

 

というのは、彼女がいかに教授たちに媚び、取り入っているか、を知っていたからです。

年上に可愛がられ、学生からは憧れられるように演出しているのがわたしたちには分かりました。実際、彼女の滅私奉公は凄まじいものがありました。

 

 

計算高いからこそ、合理的で無駄のない認知療法と認知行動療法は、彼女自身にピッタリハマったのだと思います。

 

 

そんなふうに彼女の胡散臭さと、取り巻きたちの熱狂に、わたしはドン引きしていました。

 

 

けど、それと認知行動療法そのものは別物。

 

毛嫌いしちゃいかんよね、と認知行動療法の勉強会にも参加してみました。

 

 

外部の勉強会でしたのに、何故かここもまた同じ雰囲気。

「認知行動療法は、マジックだ」と頷き合っている参加者たちに、ますます引きました。

 

 

 

カウンセリングにはさまざまな流派があり手法があります。

ですが、「万能な療法」はありません。

「たちまち解決するマジック」なんてあるわけがありません。だからこそ、多くの療法があるのだと思います。

 

 

 

 


 

 

 

 

認知行動療法の基礎には、人間は、感情(気持ち)、思考(認知)、行動の3つの側面から成り立っているという考えがあります。

なので、思考が変われば、行動が変わる、行動が変われば感情も変わる という図式になります。

 

 

この図式は、理論としてはすごくわかりやすいです。

日常的な比較的小さな事柄には、すごく使えます。自己発見と思考トレーニングにも有効です。子どもたちの教育にもいいです。認知行動療法は、思考と行動の取り扱い説明書のようなものです。言ってみれば、解決の方策を、自分の外からもたらしてくれます。

 

ですが、人生を左右すると感じられる悩み、家族など大事な人との関係での悩みは、外から与えられた方法では太刀打ちできません。こうした悩みの解決は、自分の内面から自分で導き出すしかありません。時間もかかります。カウンセラーは、その工程を共に歩んでいきます。

 

 

 

いま、認知行動療法ブームですが、カウンセリング界隈の熱狂はさほどではない気がします。マジックではないことに現場が気づいたのかもしれません。

 

カウンセリングは魔法ではない

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

批判的なことを話してきましたが、そういうわたしも、実は認知行動療法的なアプローチも使っていました。昔のケースです。

 

 

 

 

Aさんは、メンタルの病気の治療を受けながら、週3日のパートをしていました。

先日、Aさんは上司から「週4日来てほしい」と言われて、断れなかったとのことでした。

 

 

 

わたし「なぜ断れなかったのでしょう?」

Aさん「上司に悪く思われるのが嫌だったのだと思います。嫌われるというか。上司はすごくよくしてくれて、体調はどうかとか困っていることはないか、といつも声をかけてくれているのです。それなのに断ったら…と不安になってしまって」

わたし「Aさんは週3のままでいきたい気持ちなのですね」

Aさん「はい。週4は、体調的にまだ無理だと思います」

 

 

 

 

 

 

 

ここから、認知行動療法的なアプローチをします。

 

 

 

わたし「これまで、上司に、何か言いにくいなあということを言ったことはありますか?そのとき上司の方はどんなふうでしたか?」

Aさん「すごく体調が悪くて休みたい と言ったとき、上司は何も言わずに休ませてくれました。次の日出勤したときには、特に前と変わりませんでした」

わたし「では、今回、Aさんが断ったときに、上司はどういう反応をすると思いますか?」

Aさん「そうですね…もしかしたら、嫌うとかなく、すんなり『わかりました』となるかもしれないです…」

 

 

 

Aさんの思い込み(上司に悪く思われるに違いない)に対して、事実を検証して、「悪く思われるかもしれないけれど、悪く思われないかもしれない」と柔軟な思考に持っていきました。

 

 

 

このように、カウンセリング場面での認知行動療法は、クライエントのそのときの具体的な問題に焦点を当てて使うのがいいです。

 

 

 

認知行動療法を使って、性格や生き方までも変えようというのには無理があります。前述のように、こういう変化はクライエント自身の内側から起こるものなのです。

 

 

 

目の前の小さな事柄の認知を変える。そういう経験がいくつもいくつも、何年も積み重なっていけば、結果として生き方が変わっていくことはあるかもしれません。

 

 

けれども、最初からそこを目指すと、療法は厳しくガチガチになり、負担になる可能性が高いと思います。

スパルタ的になると、そもそもの認知の変容も起きにくくなってしまいます。

 

認知行動療法は、担当者によっては、ギチギチやるタイプの方もいます。

メンタルがすごく弱っているときや、もともとがガッチリやられるのが得意でない人は、ゆるいところを選ぶのをおすすめします。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

どんな療法も、結局は、「どんなときに、どんなクライエントに、どう使うか」によるのでしょう。魔法のように解決する療法なんてありはしないのですから、その場に応じていろんなやり方をとるのがベストです。

 

 

 

認知行動療法は、

「人間はそれほど論理的ではないし、合理的ではないものだ」

という認識を持ちながら、取り入れてほしいと思います。

 

 

 

 

読んでくださり、ありがとうございました。