こんにちは。
うつ当事者のピケらいおん といいます。統合失調症の家族のケアラーでもあります。
さて、以前こういう記事を書きました。
それで、知人が勧めてくれた本を読んでみました。
↓ これ
わたしが読んだ図書館本は、改訂前のやつ ↓
曲がりなりにも、心理をやっていたので、もちろんACについては知ってました。
30年くらい前かな?アメリカから入ってきた、このACの概念が、日本を席巻したのですよね。
「わたしはAC」「僕もACでした」発言があちこちでされて「それがわかって楽になりました」という声もあったり。
心理の世界でもゴリゴリに古典的カウンセリングをやっていた派は、「おいおい、猫も杓子もACって、ブームか?」
という感じでした。
で、わたしは、当時、このACの本を手にとるのが怖かったんですよねー
自分がACであることがわかってしまったら、自分のこれまで生きてきた根底が足元から崩れてしまうような気がして、耐えられない
ということだったんだと思います。
先日、ACA(アダルトチルドレンの自助グループ)に参加している知人から、ACの本を勧められました。
おそるおそる手にして、おそるおそる開きました。
そうしたら、意外に怖くなかった。
最後まで読めましたよ。
30年経ってようやく、
不安に脅かされることなく、自分のこれまでを見つめることができるようになったのかも。
ちなみにAC(アダルトチルドレン)とは
機能不全家庭に育ち、大人になって生きづらさを感じている人のこと
を指します。
機能不全家庭とは、簡単に言えば、
「子どもが、そのままの自分でいられない状態が、ずっと続いている家庭」のことです。
とは言っても、どんな家でも、いろいろありますよね。
いろんなことが起こって、子どもが傷ついたり我慢する時期も一時的にあったりします。
でも、それがずっと続くと、子どもが幸せに育つ機能が働きません。
で、ACが子ども時代にどんな子だったか、タイプがあります。
↓ このブログがわかりやすかったですよ
うわ、わたし、もろに当てはまるじゃん。やっぱわたしもACか。
・ケアテイカー(お世話役) : 小さい頃から、母のカウンセラーをやってた。自分のつらさよりも母の気持ちがいつも心配だった
・ヒーロー(優等生): 勉強をガリガリやって成績はよくて、学級委員は常連。外面を気にする親に、褒めてもらいたかった
いやーこうしてみると、幼いちびピケちゃんは、健気によく頑張ってたなあ〜
こんなに頑張ってきたから、
・疲れてしまってうつになったのもわかるし、
・対人援助職を選んだのもわかるし
・仕事依存になってバーンアウトしたのもわかるし、
・バウンダリーが弱いのもわかるし
なるほどなあ と思ったのでした。
このACという考え方。
自分の生きづらさを解明するキーのひとつにはなる、と思います。
あくまでわたしの場合の話ですけど、
たしかに、ACの視点は気づきを与えてくれるんですけど、そこだけに特化していると、未来の可能性の柔軟な広がりを感じないんですよね。
ACだったという気づきと、そこからの解放、まではよし。
じゃあそこからどうするの?っていう展開に持っていくには、AC理論のほかの、もっといろいろな視点からのアプローチもあったほうがいいのではないか と。
さっきの本に自分でできるワークがついてますけど、一人でやるのは表層的になりそうだし、あえて深く掘るとすごく危険だと思う。
この深掘りが必要なんだけどね、だから、カウンセラーとか誰かとやってくださいね っていうことなんだと思います。
そこらへんは、毒親という考え方にも通じるという気がします。
なーんて批判めいたことを書きましたが、さっきの本の続編をまた読んでみたいと思います。
その感想を改めて書きますねー
読んでくださりありがとうございました。
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