ぴあけあら

双極症当事者(ピア)で、統合失調症の当事者家族(ケアラー)。日々の記録です。

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心の傷を語るということ

 

双極性障害の父を病院に連れて行くのにとても苦労したことがありました。

 

↓ 詳しく書いた過去記事です。

peer-carer.hatenablog.com

 

 

悲壮感ばりばりの内容で、ドン引きされたことと思います。

 

ですが、メンタル家族にとって、こういうことは、「あるある」エピソードと思います。

 

家族会でも

「そうそう、わかる~」

「うちもね…」

と、衝撃事件のネタは尽きません。

 

目次

 

 

 

わたしのトラウマ

 

父の事件のことは、30年も前のことですし、父はずいぶん前に亡くなっているので、あっけらかんと書くことができると思っていました。

 

ですが、書きながら気づいたのは、傷は思いのほか深くて、全然癒えていないんだ、ということでした。

 

年月が経って、いつか癒えていくことを「時間薬(ときぐすり)」といいますよね。

 

ですが、心の傷は ときぐすりだけでは治せない場合があります。

 

「語る」という作業が入らないと、治癒に結びつきにくいのです。

 

 

語るということ

 

語るというのは、言葉にして話すことだけではありません。

文字にすること、絵などの作品を作ることを含みます。

 

表現にうまい、下手はありません。

大事なことは、そのひとなりのやり方で、そのひとなりのペースで語っていくことなのだと思います。

 

語り始める時期も、そのひとが決めるものです。

周囲から強制して始めることではなく、そのひとが語る準備ができたときに、自然と「語りたい」という気持ちになっていくのだと思います。

 

わたしの場合は、語りたい準備ができたのが、

 

いま

 

ということなのだと思います。

 

なので、ブログに書こうと思いたったのでした。

 

 

なぜ語るのか

 

昔のつらい出来事を語らなくても、いま幸せに生きているならまったく問題ありません。

 

自己治癒力で自然に治っていける傷もあります。

 

転んで膝小僧をすりむいても、いつのまにか治っていることもありますよね。

でも、傷によっては、消毒してばんそうこうをしたほうがいいときもあります。

キズパワーパットを買ってきて貼るひともいるでしょう。

深い傷ならば、治るのに時間がかかって、縫ってもらわなければいけない場合もあります。

 

また、同じ傷でもひとによって痛みも違います。

 

 

心の傷もそれと似ています。

 

どうってことない、へっちゃらな傷もあります。

 

誰かに、愚痴のように聞いてもらい、おいしいものを食べて、次の日にはまったく平気になっていることもあります。

この場合は、すりむいた程度の浅い傷です。

 

ですが、あまりに深い傷を負ったとき、心は衰弱してしまいます。

大けがは、自分の力だけでは治すことはむずかしいです。

心の体力が戻るのを待つ必要もあります。

 

そのようなときに、

 

「語る」

 

という作業が大切になってきます。

 

心の体力が戻ってきたときに、徐々に語ることができるようになっていきます。

 

 

語ることで癒される

 

精神科医の夏苅郁子さんは、お母さまが当事者であり、当事者家族でいらっしゃいます。ヤングケアラーという立場だったとのことでした。

彼女は、自分の生い立ち、家族のことを赤裸々に本に綴っています。医師として日々患者さんを診療しながら、精力的に講演活動をしていらっしゃいます。

 

 

 

 

わたしも、三年ほど前に講演を聞きにいってきました。

「サバイバー」としか言い表せない半生に、衝撃を覚えました。

それと同時に思ったのは、

「見知らぬ大勢のひとたちの前で、つらいことを話すのは、苦しくはないのだろうか」

ということでした。

しかも、何冊も本を書き、講演も何十回もしていらっしゃるわけです。

そのたびに、つらいことを思い出すことになります。

外見が、小柄できゃしゃな方なので、つらさに何度も対面していこうというパワーに、ギャップを感じました。

 

そのときに夏苅さんは、

 

「このように、あちこちで語ることが、わたしの心の癒しになっているのです」

 

とおっしゃっていました。

 

 

受け止めてくれる存在

 

つらい出来事を語ることは、自分の内側に秘めていた感情を表に出すことです。

そうして外に出した語りは、今度は客観的なかたちで自分に戻ってきます。

それに対峙するのは、傷に直面することになるので、なかなかキツイ作業です。

 

そのときに、語ったことを、

 

自分と一緒に受け止めてくれるひとがいるかどうか

 

がとても大切になってくると思います。

 

たとえば、ピアサポートの会や、家族会では、同じような傷を持つ人たちの前で語り、自分のつらさを受け止めてもらえることで、安心します。

 

統合失調症でアーティストの知人は、作品作りによく苦悩していますが、「個展を開くと、いろいろな人が見に来てくれるのがうれしいから頑張れる」とよく話しています。

 

夏苅さんの場合は、彼女の語りを、読者や、講演に足を運んだひとたちが受け止めてくれることで、癒しが起こるのでしょう。

 

「人は人によって癒やされる」

 

ということだと思います。

 

 

そのまま受け止める

 

もし心の傷を語ったとき、相手から否定されたり非難されたり馬鹿にされたりしたらどうなるでしょうか?

 

心の傷を語ることは、勇気がいることですし、傷をもう一度体験するしんどい作業です。

 

語りを否定されると、傷は再び心の深部に潜ってしまいます。

それどころか、新たに別の傷ができて、傷は深く大きくなってしまいます。

 

わたしは、以前、父のことで、警察と移送業者を呼んだことをとても悔やんでいました。

ほかに方法はなかったのか、とずっと考えて自分を責めていました。

 

そのことを親しい友人に話しました。

すると、彼女は

「そんなことを思うなんて、ばかみたい」

と返答しました。

そう返事がくると思わなかったので、びっくりして

「どうしてそう思うの?」

と尋ねました。

「そうするしかなかったのだから、くよくよするなんておかしいんじゃないの?」

と言いました。

 

結構こたえました。

彼女の意見はわかります。

あのときは選択肢は他になかったのだし、後悔先に立たずですよね。

悪意がないこともわかっていました。

 

でも、わたしは、ただ

 

「聞いてほしかった」

 

のでした。

 

評論をしてほしいわけでもアドバイスがほしいわけでもなかった。

「そうか…」

とそのまま聞いていてほしかったのでした。

 

そのときに

「ひとに話したら自分がもっと傷つくだけだ」

と心の底にしまっておこうと思いました。

 

精神の病気のことは、ひとに言いにくいです。

なので、余計にそう思ってしまいました。

 

 

 

 

語りは支えられる

 

そんなことを言われたくらいで落ち込むなんて、

甘えだ

という方もいらっしゃると思います。

 

ですが、語りをそのまま受け止めてほしいというのは、甘えではないと思います。

 

「そっと支えてほしい」

 

ということだと思います。

 

つらい傷を癒して元気になろうというときには、支えが必要になります。

その支えが「語りをそのまま受け止める」ことです。

 

足をけがして、車いすから歩き始めるときに、リハビリでは杖や手すりを使いますよね。

手すりを使わずに、いきなり「ひとりで歩け」というのは無理な話です。

 

それと同じです。

 

受け止めてもらう側が癒されて元気になれば、今度は誰かの語りを受け止める側になれます。

 

お互い様。

 

そうやって、みな、お互いに支え合ってやっていくのだと思います。

 

 

カウンセリングでの語り

 

カウンセリングの場では、つらいこと、苦しいことが語られることが多いです。

カウンセリングにはさまざまな手法がありますが、どんなカウンセラーでも共通して必ずすることがあります。

 

それは、

 

「クライアントの語りを決して否定しない」

 

ということです。

 

心の傷を外に出す行為はとても勇気がいることで、自分がもう一度傷つくリスクを負う行為です。

そういう大変な行為をしたことにまず敬意を払い、語られることをそのまましっかり聞きます。

 

それから、語られたことをどう扱うのかについて、クライアントと一緒に考えていきます。

 

こうして、カウンセリングは進んでいきます。

 

 

最後に。皆さまへの感謝

 

このブログは、きてくださって読んでくださる方々がいます。

いつもとても感謝しています。

 

解説のような記事もありますが、わたしの実体験や深い傷のような出来事も書いていこうと思っています。

 

まだ、ブログを始めてまもないですが、

 

「ブログを書くことが、自分の癒しになっている」

 

と気づきました。

 

ブログは、わたしにとっての語り なのです。

 

自分だけのメモ書きでは、こういう癒しは感じられないと思います。

 

 

「受け止めてくれる方がいらっしゃることが、何よりもわたしの支えになっている」

 

 

と、強く感じています。

 

 

読んでくださる皆さま、本当に感謝しています。

 

そして、メンタルのことで悩んでいる当事者の方、家族の方がわたしの体験を知って、

 

「自分だけじゃないんだな」

「こういうひともいるんだから、なんとかなるさ」

 

と、感じることがあったら、もっともっと嬉しいです。

 

自分のこれまでの体験はけっして無駄ではなかったんだ、どなたかの役に立てるんだ

と、わたしの傷もさらに癒やされていけそうです。

 

 

これからもどうぞよろしくお願いします。

よろしければ、また読みにいらしてくださいね。

 

薔薇がきれいな季節です