ぴあけあら

双極症当事者(ピア)で、統合失調症の当事者家族(ケアラー)。日々の記録です。

 本サイトはプロモーションが含まれています

相手を変えようとしないオープンダイアローグ

 

メンタルケアのひとつとして、「オープンダイアローグ」というやり方が日本でも話題になっています。

 

イメージとしては、本人、家族、医者、福祉士さん、看護師さん、心理士さんなどで輪になって、本人の話を聞いて、みなで対話する というもののようです。

 

こんな感じ??

 

「ようです」ってなんじゃい!とつっこまれることでしょうが、いまのところ、わたしもまだ少し本や動画で知ったレベル。

 

知ったかぶりをせずに、わかる範囲で、本とNHKのサイトを参考にご紹介します。

 

 

↓ 漫画で読みやすいです。入門としておすすめ。

 

 

目次

 

オープンダイアローグとはなにか

 

北欧フィンランドから始まったもので、統合失調症などの精神疾患、発達障害、ひきこもりのひとに対するケアの手法です。日本でも紹介されて、NHKのハートネットTVでも取り上げられました。

 

フィンランドのケロプダス病院では、本人や家族からオープンダイアローグの申し込みを受け付けています。

 

病状が急に悪くなり緊急を要するときには、24時間以内に本人と家族の元に病院スタッフが集まって、対話を始めるそうです。

 

一回で本人も家族も気持ちが落ち着けばそれで終了。「まだ必要」となれば、同じメンバーで何回も行って、本人と家族が「大丈夫です」となるまでおこなうそうです。

 

 

↓ NHKハートネットTVより

www.nhk.or.jp

 

 

カウンセリングとオープンダイアローグとの違い

 

カウンセリングでは、基本的には、カウンセラーが一対一で行います。

カウンセラーには専門的知識と技術が必要で、場所もカウンセリング室など、閉じられた空間で行います。

 

一方、オープンダイアローグは本人、家族、支援者など複数で行います。

カウンセラーのように何年も特別な訓練が必要というものではなく、いくつかの原則に従えば、誰でもできます。

カンファレンスルームのようなところでもできますが、自宅の居間にみなが集まって行う例もあるようです。

 

 

たとえば、本人のメンタルの状態が急に激しくなって、落ち着かなくなるときがあります。

日本では「すぐに病院に」ということになります。

ですが、ここで、「どうやって本人を病院に連れていくか」という大きな壁が立ち塞がります。

本人が病気だという認識が持てない状況だと、無理に連れて行くことは難しいです。

福祉のひとも病院も「とにかく連れてきてください」というばかりです。人権の問題があるので、その主張は頷けます。

 

ですが、病院につながるのがいかに大変か。

 

一刻を争うときに直接助けてくれる人はいません。そして、病状はどんどん悪化してしまいます。

 

 

フィンランドの例で言うと、そういう危機的状況の時にオープンダイアログを申し込むと、すぐに、病院のスタッフが本人と家族のもとに集まってくれます。

そしていまの苦悩についてひたすらみなで対話する。

「あなたは病気なんだよ」と説教することもなく、「病院に行かないと」と説得することもない。

ですが、対話を続けるうちに、落ち着いていくのだそうです。

 

 

大事なことは、とにかく対話を続けること。

 

 

対話をしていくなかで、変えようとしなくても勝手に変わっていく。そういう不思議な効果が起こっていくそうです。

 

 

 

形式

誰が

場所

変化の起き方

特徴

カウンセリング

一対一

(本人とカウンセラー)

専門知識と

技術を持つ

カウンセラー

基本は、

カウンセリング室

本人の変化を意図して

行う。

傾聴して相手に寄り添う

オープンダイアローグ

複数で

(本人、家族、支援者など)

守るべき原則に従うなら

誰でも行える

どこでも。

日常生活の中でも。

自然と変化が起こる。

傾聴して相手に寄り添い、対話を続ける

 

 

 

森川すいめいさんの模擬オープンダイアローグイベントを見て

 

2年前に、森川すいめいさん(精神科医)の新刊出版記念のイベントで模擬オープンダイアローグが公開されていました。わたしは、オンラインで視聴しました。

 

 

↓ この本の出版記念イベントでした。読みやすい本です。

 

 

↓ 森川さんがオープンダイアローグについて話しています。

www.nhk.or.jp

 

蔦屋書店のなかのイベント空間に、

夫(仮)

妻(仮)

妻の兄(仮)

森川さん

看護師さん

精神保健福祉士さん

というメンバーが、ゆるい輪の形で椅子に座っていました。

 

記憶がおぼろげなのですが、たしか、妻の兄役は、編集のかたかな?出版関係者だったと思います。

 

 

まず、妻役が「育児と家事、仕事の両立がきつい」というようなことを話しました。

夫役がそれに対する自分の意見(そんなふうに思ってるなんて知らなかった的なこと)を言い、妻の兄役が、夫婦の様子について話していく。

三人の話を、森川さん、看護師さん、福祉士さんがうながしていき、特に妻の訴えをみなで聞く。3人に対してさらに質問したりして、その話題について話を広げたり深めたりしていきます。森川さんたち支援者役は、自分の話をしたりもします(これがカウンセリングとは違う)。

その場面を、視聴者はひたすら見ている という不思議なイベントでした。

 

 

まとめがないまま終了

 

面白かったのは、まとめがなかったことです。

 

50分間だったか一時間だったかな?あらかじめ決まった時間があって、それが終わったら、「じゃあありがとうございました」と唐突に終わって、みんなそれぞれ席を立って去って行ってしまいました。

 

画面には誰もいなくなって椅子だけが残されて終わり。なんだこれは…。

 

そのあとで 出演者が戻ってきて、素の状態でやってみた感想を言い合うという時間が設けてありましたけれども、それでもあっけに取られた感は拭えませんでした。

 

結論はないし、出そうともしない。

意見の一致を求めることもしない。

専門家としての助言もないし、こうやっていきましょうという決意表明的なものもない。

 

 

なんだか中途半端な、ふわふわとした感じ。

 

 

これがオープンダイアローグか…。いまでも不思議な後味が残っています。

 

 

なんちゃってカウンセリング

 

 

カウンセリングが一般的に知られるようになったころ、「カウンセリングマインド」という言葉がよく使われるようになりました。

 

この場合の、カウンセリングマインドとは、「相手の気持ちに寄り添い、相手の話をよく聞く」という傾聴の姿勢をさすものと思います。

 

たとえば、学校で「子どもの悩みに対して教員はカウンセリングマインドを持って向き合います」とか、企業で「上司面談は、カウンセリングマインドをもって行う」とか。

ですが、実態は「傾聴をしているつもりで指導・説教」「傾聴をしているふりをして説得」であったりします。

なんちゃってカウンセリングマインドです。

 

 

これは、たぶん、相手を変えようとすることから起こるのではないかと思うのです。

 

 

なんちゃってカウンセリングマインドは、結果ありきです。

目的は、こちらの主張を伝えて、自分の思う方向に相手を変えさせること。

そのための下準備として相手を知る必要があるわけです。

相手の状態を知るためには、相手の言葉に耳を傾けるし、もっと把握するために聞き出し(尋問)もします。

そうやって相手の状態を把握したうえで、「でもね」とこちらの主張を繰り出していきます。

敵の情報をこまかに調べて分析して、交渉を始めて、ねじ伏せようとする…。まるで戦争です。

 

なので、なんちゃってカウンセリングは、いつも結論がしっかり出て終了します。

達成感さえあったりします。

ですが、それは説得するひとの自己満足であって、相手にとっては不快であり苦痛である場合が多いと思います。

自分のことを自分で選べず、力を奪われることにもなります。

 

 

オープンダイアローグでは説得、議論、尋問、アドバイスはやってはいけないそうです。

そういうわけで、あの、ふわっとしたエンドになるのかもしれません。

 

 

 

相手を変えようとしない

 

 

オープンダイアローグで、わたしがもっとも注目しているのは、「相手を変えようとしない」ということです。

 

カウンセリングは、基本的には本人の変化を待つものですが、ときにはカウンセラーが変化を意図的に計画することもあります。

 

ですが、オープンダイアローグでは、相手を変えようとせず、とにかく対話を続けることで、自然に変化が起きていく、と言われています。

 

相手を変えるために、あえて変えようとしないのだ、というなんだか禅問答的なこととはまた違うようです。

 

おそらく、変えたいと思うと、「どこまでも相手の話を聞く」という姿勢がぶれるのだと思います。

相手を変えるとかどうとか言ってては、話をじっくり聞いて、対話を続けることができないのかもしれません。

 

 

 

わたしは 家族を変えようとしてきた

 

振り返ると、わたしは、これまで家族を変えようとしてばかりしてきました。

 

発達障害と診断されて、

集団生活でうまくいかず、

大きく調子を崩して、

統合失調症を発症した。

 

その経過のなかで、本人が苦しいのは当然です。

 

 

では、本人でもないわたしが、なぜあれほどまで苦しかったのか。

 

 

愛する家族の苦しみをそばで見ているつらさはもちろんありました。

 

 

それに加えて、わたしが「本人を変えようとしていた」からではないかと思います。

 

 

変えようとして、これはどうか、あれはどうか、と駆けずり回って、情報を仕入れて。片っ端から試して。

 

でも、本人の状態は変わらない。

 

そして、事態が変わらないことに疲れ切って、失望して。

支援者に腹を立て、変わらない本人につらくあたったり、投げ出したくなったり。

今度はそんな自分に嫌気がさして、これからは優しくしようと決心するのに、また繰り返してしまう。

 

ドツボにはまっていく悪循環でした。

 

 

いつのまにか年月が流れていました。

 

最近になって、ようやく

 

 

「そうか、相手は変わらないのだ」

 

 

 

という考えにたどりつきました。

 

発達障害の要素があり、メンタルを発症した家族。

幼い頃からずっと生きづらさを抱えてきたと思います。

本人だって変われるものなら。変わりたいと思っていることでしょう。

簡単に変われるものなら、こんなに苦しまないですんだはずです。

 

 

それならば、ケアラーの自分が変わるしかない。

 

自分の見方を変えて、何気ないことに感謝を感じることができるようになりたい。

そして、家族と穏やかで幸せな人生を送りたい。

 

そう願うようになりました。

 

そんなときに、オープンダイアローグの存在を知りました。

 

 

ひとは簡単に変われないというのなら、わたしも簡単には変わらないのでしょうけれど…

でも、

自分が変わりたい、と思うのは、誰かを変えようとあがくよりは、よっぽど健全だし、可能性があることだろう、

と思います。

 

 

 

 

自分のため、家族のために、勉強していきたい

 

 

↓  このカレッジに申し込みました。見逃し配信もあるそうです。

www.od-flat.org

 

当然ですが、家庭の中で、オープンダイアローグをそのまま実践することはないでしょう。

 

その理念ややり方を知ることで、

 

家族のコミュニケーションが、滑らかで心地の良いものになるのではないか

 

と思っています。

 

統合失調症、うつ病などのメンタルの病だけでなく、発達障害や認知症のケアを担う方にも、役に立つ部分がありそうです。

 

 

そのひとの人生は、そのひとだけのもの。

 

わたしが干渉しすぎず、家族を尊重することができるように。

 

 

そのための勉強です。

 

 

オープンダイアローグについて、学んだことをブログで紹介していきたいです。

よろしければ、またお付き合いください。

 

読んでくださり、ありがとうございました。

ありがとうございました