ぴあけあら

双極症当事者(ピア)で、統合失調症の当事者家族(ケアラー)。日々の記録です。

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病院放浪記③ 〜地獄を見せてくれた先生〜

 

 

前回からのつづきです。

 

思い出すのもつらい8人目の先生。普段は記憶の底深くに沈めてあります。

久しぶりに掘り出して、苦く腹立たしい一連の出来事を、書き出してみようと思います。

 

 

病院放浪記③ 〜地獄を見せてくれた先生〜

 

 


 

 

8人目の先生登場

 

宇宙人先生が、同じ法人の精神科病院に異動し、新しい院長先生がきました。その先生が主治医になりました。ここでは、A先生とします。

 

A先生は、ちびっこ先生(うつになってからの2人目)に似ているタイプでした。

 

 

 話さない、説明がない、こちらから言うまで処方を変えない。

 

 

ちびっこ先生は何もしなかったけれども、害はありませんでした(いいこともなかったけれど、カウンセリングがあったからまあいいか)。

 

なので、A先生も害がないならそれでいいと思っていました。

 

クリニックは、マンションビルの2階にありました

 

 

 

 

家族が同じクリニックの患者になって

 

 

わたしがA先生の患者になった2年後。

 

家族が同じクリニックの患者になりました。主治医は別の先生(B先生)です。

 

以前、ペアレントトレーニングを受けていた病院は、閉院してしまいましたので、このクリニックにかかることになったのです。思春期外来を担当していたのがB医師でした。

わたしは、通院が一緒だから助かる、と楽天的に考えていました。

 

 

これが大きな誤算でした。

 

 

 

 

B先生のおかしな診療

 

子どもは日常生活に支障が出ていました。

 

「親から一晩中『死ね』と言われ続けて、眠れないんだ」としきりに訴えていました。

まともな会話が成り立たず、自死未遂も起こしました。

 

 

果たして、わたしたちは死ねと言っていたのか。

 

 

もちろん事実ではありません。

 

 

だいたい、毎晩毎晩、夜が明けるまで、子どもの耳元で「死ね」と言い続けるなんて、そんな暇な親はいません。

 

 

どう考えても物理的に無理なのですが、B先生はそれを信じたわけです。

 

 

 

 

 

これは幻聴と被害妄想で、統合失調症による症状の一部です。

統合失調症の人全員に出るわけではないし、統合失調症じゃなくても出ることもあります。

 

 

子どもは、この次にかかる病院で、統合失調症と診断されたわけですから、このときすでに症状が出ていたのだと思います。

 

 

 

B先生の暴走

 

B先生は、子どもを、統合失調症とは診断しませんでした。

 

「親が『死ね』と言うのをやめれば、子どもは良くなるし、家族関係は修復できる」という考えでした。

 

 

 B先生は、たびたびわたしに電話をかけてくるようになりました。

 

「あなたのせいでこうなったのだから、自分の態度を改めなさい」

「ちゃんと愛しなさい。そうすれば子どもはよくなります」

 

わたし「では、どういうふうに愛せばいいのですか?」

B先生「そんなことはあなたが自分で考えなさい」

 

叱られる

 

 

 

わたしのうつは悪くなっていきました。

 

A先生はこれまで通り、何も言いません。処方も変わりません。

そしてB先生からまた電話がかかってきます。

 

その繰り返しでした。

 

最初のうちは「わたしが悪いのか」と思っていましたが、だんだん何かおかしいと感じるようになりました。

 

というのも、子どもがどんどん悪くなるからです。

 

 

 

事態を打開したいと、わたしは院内の医療相談員さんに相談をしました。

「B先生の治療方針をお聞きしたい。電話ではなくそういう場を設けてほしい」

と要望を伝えました。

 

 

すると、次の日の朝一番にB先生から電話がありました。

 

 

B先生「そういうことは、誰かを介さずに、僕に言ってください。聞きたいことがあれば今言ってください」

 

 

A先生はあいかわらずだんまりでした。

 

A先生は院長です。

A先生が何もしないということは、どうしようもないということでした。

 

 

 

転院先を探して

 

今度こそ転院しようと思いました。病院を調べて、片っ端から電話をかけました。

 

片っ端から電話しました

 

 

ですが、転院先が見つかりません。

 

 

 

当時、子どもは14歳でした。

 

児童精神科は15歳まで。14歳は中途半端なので、いまさら受け入れられないと言われました。受け入れても治療が半年程度で終わってしまうから無理だと。

 

一般の精神科に問い合わせると「そんなに小さい子は診れません」

 

 

10代半ば〜20歳の子どもを診てくれる病院は、極端に少ないのです。

 

 

どこも患者があふれています。

 

 今受診中だと話すやいなや、難色を示されます。

 セカンドオピニオン先もありません。

「いまの先生に従ってください」と言われるばかりです。

 

 

ようやく見つけたのは、2県越えた所。予約は1年先でした。

 

 

 

完全に手詰まりです。お手上げでした。

 

 

どうしたら…

 

 

 

打ちのめされて…

 

 わたしはエネルギーが枯渇してしまいました。何をやってもどうにもならない。心理学でいうところの学習性無力の状態だったと思います。

 

 

「学習性無力感」とは

自分の置かれた絶望的な状況で、なにをしても状況を変えられず、何をやっても無駄なことが続くと、人は、あきらめの心理になり、無力感に襲われます。何をやってもこの状況から脱出できないということを学ぶ(学習する)ことによる無力感です。学校生活、勉強、会社、家庭、あらゆる場面で起きる可能性があります。

 

 ↓ こちらを引用させていただきました。

www.earthship-c.com

 

ぬけがら

 

 

決裂のとき

 

子どもは親に対してどんどん敵対的、拒否的になっていき、同じ家に住むことができなくなりました。

 

大変な事態になってきました。家庭は立ちいかなくなりました。

 

 

B先生は今度は

 

「僕の愛で治す」

 

と言い始めました。

愛で治す



 

医者の愛で治るなら、精神疾患は世界から撲滅できます。

他人事ならネタにできますけれど、当事者にとっては悲劇でしかありません。

 

 

 

B先生については、家族会の人から聞いた逸話がいくつかありますので、いつかお話ししますね。

 

 

 

 

わたしは、改めてA先生に訴えました。

 

 

 

「とてもつらいです。子どもは悪くなる一方です」

 

「そもそもわたしは『死ね』とか『死んでほしい』とか言ったことは一度もないです」

 

 

 

 すると、A先生は

 

 

「でも、B先生は『あの人はうつだから、そういうことを言いそうだ』と言ってましたよ」

 

衝撃



 

 

 そして、怒り。

 

 

 

はぁ!?

 

 

A先生、どうしてB先生の意見を鵜呑みにするのですか?

 

 以前から、わたしを診てくださっていましたよね? 

あなたはわたしの主治医ではないのですか?

 

 

 

 

ここにいたらだめだ と思いました。

 

 

 

 

メンタルの病は、あっという間に時が過ぎます。

1年、2年、5年。10年なんて飛び去るように過ぎてしまいます。子どもは特に…

絶望

 

 

 

 

 

A先生に「別の病院にかかりたい」と言いました。

どこの病院かと聞かれ、病院名を言いました。知人からの情報で知った大学病院です。

 

 

 

すると、先生は、

 

 

「ふっ」

 

 

と鼻で笑いました。

 

 

 

「そんなところに行って、どうするんですか」

 

 

 

髪をかき上げながら、面倒くさそうに言いました。

 

 

 

 

にゃー



 

 

 

やっと、転院

 

A先生とはそれきりです。

 

 

医療相談員さんに再び連絡して「転院したいので紹介状がほしい」と伝えました。「先生にも話してありますから」と。

 

 

やっといまの病院に家族と一緒に転院することができました。

 

大きい病院です

 

 

そこを選んだ理由は

 

・予約なしで受け入れてくれた(←感謝)

・すぐに紹介状を用意できなくてもOKだった(← 奇跡)

・評判は悪くはなかった

・他に選択の余地がなかった(← これが大きい)

 

 

 統合失調症の治療が始まり、半年で家庭は元に戻りました。

 

それから現在までの8年間、わたしも家族もそこで治療を続けています。

 

 

 

 

 

 

 

まとめ。一体この騒動はなんだったのか

 

ここまで思い出して、嫌な気持ちが蘇ってきました。と同時に、不思議でたまりません。

 

 

一体全体、どうしてあんなことになったのか。

 

 

 

なぜ

 

 

あそこまでこじれた原因として、可能性のあるものを挙げてみました。

 

 

・子どもの病気の進行スピードが速かった

 

・同じ家族を治療するのは難しい(←カウンセラーも難しいときがあります)

 

・A医師、B医師ともに、医師としての能力が足りない

 

・A医師、B医師ともに、患者との治療関係が正しく作れない(これも医師の能力ともいえる)

 

・病院の組織が機能していない

 

・A医師とB医師の不思議な関係

 

 

 

どれもこれもが要因なのでしょう。みなが重なり、絡み合って、あのようなことになったのだと思います。

 

うーん…



 

 

 

面白いと思うこと

 

面白いのは、A医師とB医師の関係です。

 

A医師はそれまでわたしを診てくれていましたが、B医師の見立てを優先させました。

素人から見ると、自分の診療を放棄したように思えます。

 

だったら、B医師のほうが立場やキャリアが上かな、と考えるところです。

 

ところが、院長はA医師です。

しかも、年齢は、B医師よりも一回り以上も年上。

ということは、通常はキャリアも上なはずです。

 

どっちが上?



ただ、B医師は口が立つタイプです。A医師は患者の前では寡黙というか言葉がない。

 

 

憶測ですが、A医師は、院長として、ヤンチャな勤務医とうまくやるための方便をとった、とも考えられます。

逆パワハラ問題も絡んでいるのかもしれません。

実はB医師の親族が経営者だとか?

ドラマ「○い巨塔」?

もしくは恋愛絡み??

 

想像が膨らんでしまいます。

 

 

いずれにしても、患者にはまったく関係ないです。迷惑。巻き込んでほしくないですね。

 

 

巻き込まないでください

 

 

 

最後に

 

ピアの会や家族会では、よく「医師と合う合わない」という言い方をします。

わたしがいいと思う医師が、ほかの人にもいいというわけではありません。相性なのだと思います。

 

 

ですが、このクリニックは相性がどうということではなく、単に

 

 

質の低い病院だった

 

 

ということに尽きると思います。

とんだ災難だったということでした。

 

 

 

読んでくださって、ありがとうございました。

いまの主治医についても、書くかもしれませんが、放浪記はひとまずここで終わりにします。

おわり。

 

ありがとうございました