あちこちでリアルの対話の会を主催するようになって、ちょっと困っていることがあります。
そこで参加された方から「お友達になってください」的なことをよく言われるのです。
わたし友達いないので、嬉しくてね。
「お友達?うれしい!こちらこそなりましょーなりましょー」って、ついSNSを交換しちゃったりしています。
組織に所属していないので、連絡先を教えるとしたら、わたし個人のものになります。
ふと気づきました。
待てよ。
ほんとうに「お友達」なの?
なんとなく、なんですけどね、なんていうのかな、対話会でのやりとりを期待されているのではないのか…
というのは、会でのわたしの立ち位置って特殊なんですよね。
一参加者として自己開示はします。
でも、同時にファシリテーター的な役割をする場面もあるのですよ。
受容的で共感的で、でも場の安全を守る役割を担うわけです。
だから、ほんとうのわたしであるような、ないような…そんな感じなのです。
演じてるってほどではないですけれどもね。
で、「お友達になりましょー」と言ってくる方は、みなさん少し依存的な感じの方々なのですよね。距離が近い。
病気の症状で一時的にそうなっているのか、もともとそういう方なのか、そこはわからないのですけども。
そして「お友達になりましょう」の方々が異口同音に言われることがあります。
「ほんとうはこういう場(メンタル系の会)に来るのは嫌なの。でも、ピケさんとはお友達として付き合いたいの」
わたしもね、当事者ですからね、いかにもメンタルメンタルしたところには抵抗があるっていう気持ちはわかるのですよ。
病気のことを受け入れられなくて、そういう場を拒否したくなる。本当は求めているにもかかわらず。
いまはもう開き直っちゃって、むしろ自分でそういう会をやっちゃっているのですけど。
そもそもわたしって、子どもの頃から人気者ではないのですよね。
だからいま友達がいないわけで。
それなのに、リアル対話会をするようになって、こんなにモテモテって、なんか変じゃないかな。
わたしの勝手な憶測なんですけど、
「メンタルメンタルした場には行きたくない。でもピケさんなら、ああいう会的なことを与えてくれそう」
みたいな感じなんじゃないか…
それって、友達とは違いますよね。
わたし個人じゃなくて、受容的共感的なファシリテーターとしてのわたしとお友達になりたいのかなあ
わたしが以前、心理士をやっていたときにも、似たようなことがありました。
でも、そこは クライアントとカウンセラーという立場が明確でしたから、グイグイッと来られることはなかったのですよね。
来られたとしても、線を引きやすかった。
けど、今は、当事者で当事者家族という対等な立場です。
いやいやいや。
これは、わたしの考えすぎで、単に新しい友達が増えた というだけかも。
ううううーん
こんなふうにモヤモヤしているのです。
このあいだも、お友達になりましょーと言われた人から「お茶しましょうよー」と誘われました。そのときは、何も考えずに、お店と日程を約束しました。
その方は「外に出ることがあまりなくて、寂しい」と対話の会で話していました。
だから「その人が回復していくのに、力になりたい」という気持ちもあり、わたしもそこのカフェまで自転車で行ったら楽しいし、と思っていました。
ですが。
予定が近づくにつれて、ちょっと苦しさを感じるようになりました。
もし、お茶をして、もっとグイグイ来られたら?
距離感がすごく近くなってしまったら?
わたしはすごく困るんじゃないかな。
それに、わたしは支援者じゃないよね?
わたしが違和感を抱えたまま、無理してお茶するのってなんか変な気がする…
結局、「ごめんなさい。体調が悪くて」とドタキャンしてしまいました。
こういうことって、リアル対話会を始めるまでは、想像しなかった事態です。
どういうふうに考えたら良いのでしょうかね…
「なんか嫌だな、と感じたら断る」くらいの感覚で、気軽に考えたらいいのでしょうかねえ…
ちなみに、zoom対話会ではそういうことを感じたことはないなあ。
ある程度の距離感が保たれて、参加者もファシリテーターも安全でいられるのが、オンラインの良さかもしれません。
読んでくださり、ありがとうございました!