↓ 前記事からのつづきです。
主治医に思いきって聞きました。
わたし「先生、実は自立支援の更新の診断書に、『双極症』と書かれているのを見たんですけど…わたし、双極症なんでしょうか?」
わたし「双極って、躁のときに何日も寝ないで大丈夫、とか、すごく浪費しちゃう とかあるイメージですよね?わたしはそれがないと思うんです」
主治医「ああ、それは昔の双極性の典型的な症状で…。いまはですね、そういう典型のことがなくても、波があると双極のカテゴリーに入れる傾向なんですよ。医師によって判断は違うんですよね…。ピケさんの場合、そんなに激しい波ではないけど、やっぱり波があると思うんですよ。躁の方に高く振れる波ではありませんけれども…。そういう双極性もあるのです」
主治医は、ずいぶん言葉を選びながら話している様子でした。
先生のいうとおり、波はあります。
調子がいいときに気分良く活動して、あとでドッと疲れがきます。
この波が一般の人よりは大きくて、治療の範囲だということなのでしょう。
わたし「双極だとすると、うつと何が違うんでしょうか?」
主治医「そうですねえ うまくつきあっていく、ということになりますね」
わたし「一生のつきあい ということでしょうか?薬をずっと飲むというような?」
主治医「うーん、薬についてはそうとも言い切れないんですけれど… やっぱりうまくつきあっていく、という形になりますね」
流れで薬の話になりましたけれど、聞きたかったのはそこではなく、双極症なのかどうか、ということ。
で、答えは
イエス
ということでした。
まあ、うつだとしても、これは一生もんだろうなあ と思っていました。
ですから、ずっとつきあっていくという意味では変わりません。
でもなぜだろうか。
やっぱりちょっとショックでした。
「メンタルが生涯のおともだちとして確定した」といいましょうか。
「あんたの家にいる居候、ずっと居続けるよ」と、外の人にはっきり言われて、
がーーん
という感覚です。
病名が変わろうが、実態はなにも変わらないわけでして。
あれこれ考えても、少なくともいまの段階では、自分の気持ちが良い方向にいく感じはしない。
なので、まあこのことは、とりあえず、わたしの中で棚上げしておこうと思います。
読んでくださり、ありがとうございました!